謎の打楽器職人『ワイパー・イトウ』の生き様はこんな感じなのよブログ

2017.3.31に35歳時点で会社組織勤めをドロップアウトした、北海道札幌市在住の謎の打楽器職人『ワイパー・イトウ(伊藤 朗)』のブログ。

【2日目】2017.5.10~21ヴィパッサナー瞑想合宿の記録

ヴィパッサナー瞑想合宿が終わって相当経つので、今さら思い出すことができるのかどうか不安に駆られつつ、この記事を書いている。

 

こんなに日が経ったにも関わらず「まだ1日目までしか書いていない」という事実に心が折れそう。あっ、これ合宿のときの気持ちと全く一緒だ。

 

前回記事はこちら↓

wiper-ito.hatenablog.com

 

 

 

●2日目「襲う激痛。おしっこ地獄。マジ帰りたい。」

 

例によって、朝4時起床。

 

起きた直後、身体の異変に気づく。とにかく背部が痛いのだ。特に右腰部。激しい運動をした次の日のような、はっきりとした痛み。

 

今回の男性コースに先駆けて行われた女性コースに参加したすみぃ氏は腹筋痛に悩まされたらしいが、僕の場合は腹筋痛は全くなかった(痛みの出る部位は、人によってかなり差があるそうだ。)。

 

この痛みの正体は一体なんだろうと推測してみた。

 

[1]日常生活ではありえないレベルの長時間のあぐら座りをしていたため、身体の歪みが生じ、それに伴い痛みが生じた。

 

感情は脳ではなく脳以外の肉体の部位から発生している。また、その肉体の部位によって、抱える感情の種類が異なる。つまり、痛みが生じている部分に対応する感情が刺激されている。

 

1に関しては、僕は左足が上にくるようにあぐらを組んでいた。あぐらは左右対称には絶対に組めないため、体に歪みが生じている可能性は十分だなと思う。

2に関しては、「こういう仮説が成り立ったら面白いな」というものであり、興味深いことなので、後日、体の部位と感情の関係を調べてみたいと思う。もしかしたら、面白い気づきが得られるかもしれない。 

 

 

まーなんにせよとにかく痛いのである。僕は周りから「姿勢が良い」と褒められることが多いので、背中が痛くなる可能性なんて全く考えていなかった。よく考えたら、人生でこんなに同じ姿勢で座り続けたことなんてないので、全く未知の領域なのである。体がびっくりするのも無理はない。

 

記憶が曖昧だが、この日の朝はダンマホールで瞑想を行ったと思う。周りはみんな黙々淡々と瞑想していた。

 

「僕は体が痛くて悶絶しているのに、みんな平気で瞑想している・・・ついていけないかもしれない。」

 

と、若干心が折れそうになる。もしかして、体が痛いのは僕だけなのか、みんな余裕なのかと思いたくなった(考えてみれば、一切喋られないのだから「痛い!」とも口に出せないわけで、「みんなが平気に見える」のは当たり前のことなのである。)。

 

朝の自主瞑想は2時間あるのだが、とてもぶっつづけで座ってなんていられない。たぶん、この日あたりからダンマホールを出て自主的に休憩をとるようになったと思う。

 

眠気覚ましに外出してもよいというので、外に出てみた。

 

曇天。小雨が降っていたようで地面が濡れている。元小学校のグラウンドなので土が剥き出しであり、靴が泥で汚れた。

 

 

で、外はものすごいシュールな光景であった。

 

 

というのは、「合宿中は決められた敷地より外に出てはいけない」&「激しい運動をしてはいけない」という決まりがあるので、みんな外に出てもひたすら目に見える範囲をうろうろと歩きまわるしかないのである。

しかも、「お互いに話しかけられない。目も合わせられない。」ので、お互いに干渉しないほどよい距離をとって歩くはめになるのである。

 

その光景はまるで、スーパーファミコンの名作・ロマンシング・サガシリーズの敵キャラ」のようであった。「あの人に近寄ったら戦闘シーンに突入する」みたいな謎の緊張感があった。

もし、この世にゾンビの街が存在するのであれば、こんな感じだろうなと思った。きっと、僕もゾンビの一人として周りから認識されていたことであろう。あなたはゾンビ、わたしもゾンビ、あぁゾンビゾンビ。

 

 

 

朝6時30分、朝食。

 

メニューの詳細は忘れてしまったが、この日の朝食も美味しく頂いたと思う。

 

ただ、あまりお腹が膨れなかったので、味噌汁をおかわりし、かつ、紅茶をカップ1杯飲んだと思う。

 

これが、合宿を通じての試練に繋がるとは、この時は全く思わなかった・・・

 

 

 

朝8時、グループ瞑想。

 

グループ瞑想中は、ダンマホールからは出てはいけないという決まりがある。

 

しかしだな、

 

だいたい予想つくと思うが、

 

 

おしっこ

したい

  

  

やられた。朝食で水分を摂り過ぎてしまったのである。頭の中に「味噌汁をおかわりさえしなければ・・・紅茶さえ飲まなければ・・・」と後悔ワードが渦巻く。

 

当然ながら瞑想どころではない。ひたすら自分の膀胱との対話である。

  

 

 

大脳「まだいけるか?!」

 

膀胱『もう結構きついっす・・・これ以上きたらやばいっす・・・。』

 

脳「そうはいっても、まだ40分は残っているぞ。」

 

膀『あっ。

 

脳「あっ?」

 

膀『・・・大二波が来たっす、もうだめっす・・・

 

脳「もう少しだけ耐えてくれ・・・っ!」

 

膀『40分は少しじゃないっす!!!

 

脳「仕方ない。腹にグッと力を入れてこらえるアレをやるぞ。」

 

膀『えっ、でもアレは失敗すると余計に小便したくなるリスクが・・・。

 

脳「お前はこのままでなにもしないまま、運命に足掻くこともせず、公衆の面前で醜態を晒す道を選ぶか?それで本当に良いのか?人生にはリスクを選ぶことも時に必要ではないのか。」

 

膀『・・・。

 

脳「やるか?」

 

膀『・・・やるっす!

 

脳「では、いくぞ。準備はいいか?」

 

膀『OKっす。

 

 

「せーのっ、はいっ!!!」

 

 

脳「・・・。」

  

膀『・・・。

 

脳「・・・どうだ?」

 

膀『・・・。

 

脳「・・・。」

 

膀『・・・失敗っす・・・。

 

ナヌッ」

 

膀『やばいっす。今すぐおしっこしたいっす。自分もう限界っす。もうだめっす、出します。っていうか出ます。

 

脳「・・・しかたあるまい・・・。撤退!!」

  

  

  

英断をした。僕はただ無言でダンマホールを出た。

なにしろおしゃべりができないので、「先生、トイレに行ってきます!」宣言さえできない。

 

なので、速攻でトイレに行き、光速でナニを取り出し、パンパンに膨れ上がり悲痛な叫びを挙げている膀胱をその業から開放し、脳内で「戦場から帰ってきた兵士ごっこ」を済ませ、トイレの外に出ると、スタッフの方が立っていた。

どうやら、瞑想が辛くて脱走したと思われたらしい。実際、脱走したかったが。

 

「ホールから出ないでください!」

 

軽く怒られた。

 

「用は瞑想開始前に済ませておいてください!」

 

実は、開始前に2回も行ったんだけど・・・。

 

 

尿意は悪魔だ。奴は、一番来て欲しくない時に計ったようにようにやってくる。

「修学旅行でバスが高速道路に乗った瞬間におしっこしたくなる」の法則を忘れていた。僕は負けた。36年間、なにも学んでいなかった。

 

・・・。

 

そして、なんと、

 

この日を教訓に、以後は「朝食の味噌汁は1杯、しかもお椀に半分。」「その他の飲料は摂らない。」「朝食後は外で散歩し、その後は腹をマッサージして尿意を誘発する。」という努力をしたにも関わらず、「直前まで尿意なかったのに、朝瞑想が始まった瞬間、おしっこがしたくなる」という状態になった。

 

正確には、

 

「ゴエンカ師の声を聞くと、

 おしっこしたくなる」

 

という、実質的に催眠にかかった状態になった。

 

「おしっこするな!と言えば言うほどおしっこしたくなる」の法則に完全にはまってしまい、僕の脳内で、

 

「ゴエンカ師=おしっこ催眠の人」

 

という図式が完成してしまった。

これはあくまでも僕の脳内の話であり、ヴィパッサナー瞑想やゴエンカ師のことを貶めたいというものではないことにご理解頂きたい。

 

 

ちなみに後日、先生に対し、

 

「瞑想すると、おしっこしたくなるんですが、これはなにかのメッセージでしょうか?

 

と質問すると、

 

「瞑想始まる前にトイレに行ってきてください。」

 

との回答。

 

 

で す よ ね ー

 

 

※でも、本当に切実な問題だったのよ。だからこそちゃんと質問したの。ゴータマ師はどうやって尿意に耐えたんだろう。人知れずもぐしてたんだろうか。それでもアニッチャアニッチャ言っていたんだろうか。

 

 

ちなみに、朝瞑想の直後はトイレが混む。どっと混む。.com

 

なんだ、みんな、おしっこ&うんこ我慢していたんじゃないか。

 

 

 

 

今回、おしっこ話に終始したので、瞑想の話も一応書いておく(というか、そっち本題だよ!)。

  

 

記憶が曖昧だが、たぶんこの日あたりから瞑想の方法が若干高度になった。

 

具体的には、呼吸を観察するための肉体の部位が、

「上唇の上辺から、鼻の上方(目の高さくらい?)にかけての部分」

だったのが、

「上唇の上辺から、鼻の下にかけての部分(いわゆるチョビヒゲが生える部分)」

に狭められた。

 

さらに、1分間以上そこに意識を留め続ける努力をするよう指示された。

 

瞑想は日に日にどんどん地味に、かつ、高度になっていく。

  

 

この日あたりから、瞼を閉じているはずなのに、映像のようなものがチラチラ見えるようになった(この関係の話は後日書きたい。・・・忘れていなければ。)。

 

また、「あぁ、これが瞑想しているってことかな。僕は瞑想していますって公言してもいいレベルかな。」と思えるようになってきた。

 

  

 

  

さて、番外編。

 

他人とコミュニケーションをとってはいけない、いわゆる「聖なる沈黙」。

 

これを一度だけ破りそうになったことがある。

 

それはどんな場面だったかというと、

 

相部屋となった人が寝言で、

 

「ああ、そうですか!ええ、わたしはいいと思います!やってしまってください!」

 

と言ったので、「えっ、なんですか?!」と返事しそうになったのである。

 

あまりに鮮明な喋りだったので、寝言だと気付けなかった・・・!

 

こういう地雷もありますぞ、という話であります。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワイパー