恋愛 そして ポリアモリー
2017.4.18から、ある女性と交際しています。
その女性とは、珠帆美汐(たまほみしお 愛称:たまちゃん)さんという方。
※普段僕は彼女を本名で呼んでいますが、このブログ中では「たまちゃん」と呼ぶことにします。
彼女は、兵庫県出身ですが北海道在住で、スピリチュアルコーチと名乗り、タロット占い・手相占い・カウンセリング技術等を駆使した対人援助、人間の精神的成長などに係るイベントのオーガナイズ等をしています。
特に、恋愛観や結婚観といった所謂「パートナーシップとはなんぞや」ということに重きをおいており、数年前から、彼女自身が「ポリアモリー」という新しいパートナーシップの形に取り組んでいます。
ポリアモリーとは、2人以上の交際相手を同時に持つことです。
今の彼女で言えば、旦那さんと彼氏2人(うち1人がイトウ)の計3人と交際しています。
二股・浮気・不倫と決定的に違うのは、交際関係者全員が、その交際関係を把握し、かつ、その状況を受け入れているということです。
また、「状況を受け入れる」とは「状況を黙認する」という意味ではなくて、「自分の交際相手は、自分の他にも交際相手がいる」という事実に真っ向から向き合い、納得した上で、心に受け入れるということです。
なお、彼女は現在の交際関係について、先日、ブログ等で世間に交際相手の実名付きで公表しました。
ポリアモリーに取り組むかどうかは当然に当事者間の問題なので周りにそのことを公表しなければならないということはないのですが、あえて、世間から誹謗中傷を受ける可能性があるリスクを抱えてまで公表しました。
公表の狙いはなにかと言うと、現代日本社会ではモノガミー(1対1の交際)しか認めない風潮がある一方で、モノガミーに疑問を持つ人達が一定程度存在し、また、その人達の多くはモノガミーという枠の中で我慢しているであろう状況です。そんな中、人生を輝かせる方法としてポリアモリーという選択をした彼女自身が新たな人生モデルとなり、それをさらけ出すことで、「こういう幸せのカタチもあるんだよ。」というメッセージを世間に送ることです。
なお、決してモノガミー否定をしたいわけではなくて、モノガミーでパートナーがお互いに幸せだと全力で言えれば、それはそれで実に素晴らしいのです。やりたかったことは、あくまでもモノガミー社会に苦しみや限界を感じた方への、新しい選択肢の提示です。「モノガミーにこだわらなくとも幸せになる方法はあるよ」ということを提示・実践・証明してあげたいわけです。
で、彼女が交際関係を公表したことを受けて、交際関係について僕視点で今回のブログに書きたいと思います。
その前段として説明しておきたいことがあり、それは僕の恋愛観についてです。
2017.5.28に彼女と共催という形で、こんなワークショップを企画・開催しました。
その中で僕にとって重大な気づきがあり、ポリアモリーにも密接に関わる内容だったので、まずはそれについて書きます。
その気づきは、参加者のひとりから「結婚とはなにか。恋愛とはなにか。交際とはなにか。どこからどこまでが交際しているというのか。」といった趣旨の質問がなされ、僕が答えることになったその場面で得られました。
「良い質問だ!」と思いました。なぜなら、「まさに僕自身が探していたこと。悩んでいたこと。知りたかったこと。」だったからです(なんと、たまちゃんと交際開始してからもずっと考えていました!)。
このことについて、まさにその場で天から降ってきたように良い回答ができたので、紹介します。
以前は、僕は人間というものはひとりひとりが不完全で、数字に例えるなら、「ひとり=1/2」のようなものだと思っていました。
だからこそ、誰か別の人と交際することで「1/2+1/2=1」という、完全な状態を目指しているのだ思っていました。
でも、この説明だと、
・別に交際関係ではなくとも知人・友人でも成り立つのではないか。
・「不完全な部分を他人で埋める」というのは、納得できる部分もある反面、すごく共依存的でネガティブなイメージが湧いてしまう。交際相手にもたれかかっていないと生きていけなくて、すなわち、自分の人生の下駄を他人に預けてしまったかのような感じがする。
・離れてもくっついても、一人に注目すれば「1/2」ということに変わりない。つまり、交際してもなにも変わらないのではないか。
・そもそも、僕自身は自分を「1/2」ではなく「1」だと感じている。自分ひとりでもある程度幸せな感覚が得られている。だから、このように交際を定義づけると、交際をする必要性が無くなってしまう。
という考えに僕は落ち着いてしまいました。
ところが、質問の回答に際し、僕に新たに芽生えた恋愛観が↓↓↓です。
・「ひとり」というのは、「ひとり=1」であって、既に完成である。
・人同士は交流することができ、そのときには「1+1=2」になる。
・ところが、人は「親密になればなるほどエネルギーの交流が起き、その結果、足し算ではなく、掛け算のようなイメージでエネルギーが増す」という性質がある。
【知人であれば (1+1)の1乗=『2』】
【友人であれば (1+1)の2乗=『4』】
【親友であれば (1+1)の3乗=『8』】
<恋人であれば (1+1)の4乗=『16』>
・ひとりひとりがバラバラに活動するとエネルギー交流が起こらず、結果として上記のような掛け算は発生しないので「1」を超えることはできない。従って、『「1」を超えたい』と願った者は、他人と親密に交際することに身を投じ、エネルギー交流という掛け算を発生させる必要がある。
・掛け算により発生した数値は、交際者同士の共有財産となる。つまり、WinWinの関係となる。
・ただし、親密になればなるほど「お互いの、精神的にも肉体的にも、深い部分、繊細な部分、弱い部分、怖い部分」にコミュニケートすることになる。親密になった状態でコミュニケーション不全が起これば掛け算は起こらない。それどころか「マイナスの掛け算」が発生する可能性があり、そのなった場合は離れる必要がある。
・どの程度親密であれば「親友」や「恋人」と呼ぶのかについては、個人の感覚の問題であり、好きなように定義すればよい。しかしながら、交際相手同士が現在の親密度を定期的に確認して、感覚を共有する必要があると思う。
まとめると、
既に完全な自分として人生を歩んでいる者が、
ひとりでは実現不可能な領域があると自覚したときに、
パートナーと親密なエネルギー交流をすることで掛け算を発生させ、
さらに充実した人生を送る。
というのが、僕の恋愛観です。
「共依存の関係」ではなく、「共成長の関係」なのです。
「あなたがいないと、わたしはダメになってしまう。悲しませないで!」
『まじかよ・・・。重い・・・。逃げられない・・・。』
ではなく、
「あなたがいると、わたしはますます素晴らしくなってしまう。ありがとう!」
『彼女を成長させる存在である俺は素晴らしい!楽しくて離れられない!』
です。
こういう恋愛観を自覚したことで、『なぜ、僕がまだまだ社会に定着していないポリアモリーという関係を組んでまで、たまちゃんと交際するのか』という理由がはっきりするのですよ。
想像すればわかると思いますが、彼女との交際開始~交際当初には僕自身の固定観念との葛藤がたくさん起きました。
例えば、
・既婚者と交際するなんて、許されるのか?(→結婚したら1対1を貫かないといけない。)
・旦那さんともうひとりの彼氏さんは、僕の交際を了解していると言ったが、本当に本心なのか?(→他人は本心は喋らない。または嘘をつく。または隠す。または我慢する。)
・僕が交際することで、家族関係の破壊に繋がらないか?(→男女関係の複雑化は既存関係を破壊する。)
・万が一、妊娠させてしまったら、どうするのか? (→妊娠させたら責任とって結婚しなければならない。旦那さんと別れてもらわなければならない。)
・僕は無職で現在無収入。彼女に経済的支援はしなくていいのか?職に就いてから交際すべきではないか?(→男は経済力でもって、女を養わなければならない。)
・ドラマみたいな泥沼の三角関係に陥るのではないか?下手すりゃ殺されるのではないか?(→嫉妬は時に人を殺す。)
といったような。(→が固定観念)
そのような恐れを感じてもOKした理由は・・・ここで、恋愛観の話に立ち返るのですが、
『僕とたまちゃんなら、エネルギーの掛け算を起こすことができる。』
『僕もたまちゃんも、お互いにひとりでは越えられないステージに立っている。』
『2人のエネルギー掛け算でもって、次のステージに向かおう。』
『それは、固定観念に逆らってでもやる価値がある。』
ということなのです。
これを読んで、「ちょっとまって。イトウはともかく、たまちゃんは既にパートナーが2人いるじゃない。なぜイトウと交際する必要があるんだ。」と思った人は鋭いです。なので、このことについて説明します。
旦那さんは、極めてすごい生活力と実行力がある方。建築士で家具職人で調理師。セルフビルドのおしゃれで大きな家を建て、ほとんどの家具を全て自分で造り、たまちゃんの職場(賃貸セミナールーム)に水道を引き、ガスを引き、素晴らしい仕事環境に整えた。大きな自家菜園を耕し新鮮な野菜を収穫し、毎日のように手の込んだ美味しい食事を提供する。最強の専業主夫。
もうひとりの彼氏さんは、ギター弾きで歌うたい。その音楽で、たまちゃんの人生に喜びを与える。人脈に優れ、たまちゃんに対し新たな繋がりを積極的に提供する。彼もまた料理をする。しかも、義務感によるものではなく、楽しそうに作ったものを、これまた楽しそうに分け隔てなくいろんな人に振舞う。彼が心優しい人物であることは、会って5分でわかる。
では、
イトウはたまちゃんに対してなにをしているのか?
どんな喜びを提供しているのか?
たまちゃんはイトウのどんなところに魅力を感じているのか?
なにをしてもらいたいのか?
僕は、家は建てられません。農業スキルも皆無です(実家は農家なのに・・・苦笑)。料理は壊滅的に下手です。音楽やりますがギターは弾けません。人脈も広くなく、引っ込み思案な性格なので消極的です。
僕が彼女に与えているもの・・・交際当初は全然気づけなくて、何度も何度も「はて?なんで交際しているんだろう???」となりましたが(苦笑)、交際期間が1ヶ月ちょい過ぎた現在、ようやく見えてきました。
それは、
『彼女の言葉の本意を理解すること。そして、それを具現化すること。』
でした。
具体的には、彼女の生業であるコーチ業に関することです。
彼女の地頭力は飛び抜けてすごい(さすがW大卒だ・・・っていうのは僕の固定観念ですね。)のですが、すごく特徴(悪く言えば、欠点。)があります。
それは、能力がやたらと偏っているのです。
それは偏見だろと突っ込まれるのを承知で表現するならば「超文系脳」「超右脳人間」。
本人もそれを自覚しています。
文章・言葉・芸術といったものに対する理解力、感受性、共感力、想像力、分析力といった能力が凄まじく高いのですが、事務力、計算力、計画性、具体化力、整理整頓といった能力がとても低い。
それでも彼女は地頭力が高いので今までなんとかこなしてきたのですが、「自分の苦手分野の労力に体力を奪われて、本来の自分の得意分野をこなすことができないストレス。」だとか、「素晴らしいアイデアを思いついたが、具体化できずに実現できないストレス。」といったことをたくさん抱えていたのです。
そこで、ポッと現れたのが、イトウです。
彼女の仕事は「人の心を扱う」という非常に繊細なものであり、そこに彼女の特性も加わって、彼女の言葉とその裏にある意向を把握しつつ、それを具体化(文書化したりワークショップを企画したりすること)するのはとても難しい・・・
らしいです。
というのは、僕がやっていることは彼女の話を聞いて、
「それってこういう趣旨だよね?じゃあこういう風にしたらどうだい?プリント作って送るね。」
って、ただそれだけです。大したことをやってません。
ところが、彼女は大変喜んでくれます。その喜び方はもはやギャグマンガの世界。「えっ、たったこれだけのことで、そんなに喜ぶの!?!?」と思うほど。
僕は今の今まで全く自覚がなかったのですが、この能力はけっこうレアもので、旦那さん、もう一人の彼氏、そして、歴代彼氏などを含めても誰も持っていなかったようです。
彼女は今まで十何年も自営業をしてきました。旦那さんや、もうひとりの彼氏さんは、家事や環境整備といったことで間接的に彼女の仕事を支えてきました。ただ、彼女の仕事内容に直接的にどっぷり浸かるということはありませんでした。この「どっぷり浸かる」役目が、僕なのでしょう。
「じゃあ、別に交際しなくても、たまちゃんの『専属社員』みたいな感じで、報酬を受け取りながら業務補助する関係でいいんじゃないの?」という意見がありそうですが、1ヶ月強付き合って感じましたが僕と彼女の会話は毎回激烈濃厚で、「この会話、もったいないな。録音して文書起こしして本にしたら売れるんじゃないかwww?」と思うほど。
報酬による雇用関係だけの人にはたぶん厳しいでしょう。先に書いたように、濃厚な関係だからこそエネルギー循環による掛け算が起こって仕事がこなせるようになるのです。
サラリーマンやっていた(又はやっている)人は、会社勤めのとき思いませんでしたかね。
「仕事同士の付き合いなんて上辺だけのつまらないもの。みんな、当たり障りのないことや、世間話しか言わない。ああ、もっと濃厚に付き合って本気の仕事がしたい!」
僕はずっとそう思っていました。
それがとんでもないカタチで実現しましたwww
毎回彼女に鍛えられています。
記事のまとめとして、
どんな選択をしてもよい。
大事なのは、
その選択は純粋な本心か。
交際関係者全員に腹を割って話したか。
交際関係者全員を愛しているか。
これができれば、たぶん、大丈夫。なにが起きても。
これがフリーセッ〇スと全く違う点。
遊びではないのだよ。本気なのだよ。
自分の肚の欲求にサレンダーし、
かつ、
関係者全員の幸せとの両立を全身全霊で願うこと。
それが、
ポリアモリー
僕は、全力で彼女の旦那さんともうひとりの彼氏さんを尊敬しています。
この間、旦那さんと面と向かいました。もともと旦那さんも僕も口数は少ない方なので、本当に会話は短いものでした。
旦那さんは、
「よろしくお願いします。妻を幸せにしてください。」
と言いました。
なんだかんだ緊張していましたし「よろしくお願いします」と一言あっさり返しただけのような気がするけれど、今、こうやってブログに書き出すと、すごい言葉ですね。旦那さんの器のでかさに改めて心打たれ、涙が出そうです。
旦那さんが、たまちゃんと過ごした約30年の重みは、僕には図りしれません。陳腐な文章は要りません。この事実が旦那さんの凄さを語ってくれています。
もうひとりの彼氏さんは、僕が全く持っていないものをたくさんたくさん持っています。交際期間は僕より遥かに長く、その間にたまちゃんに与えたものは膨大で、これからも、与え続けていくことでしょう。
僕は、たまちゃんを、僕にできること、僕なりの方法で愛します。
あくまで僕は僕。
比べる必要はないのです。
僕は、旦那さんやもうひとりの彼氏さんから、たまちゃんを奪いに来たのではないのです。
たまちゃんは、だれの所有物でもありません。
僕らは、現在の社会常識的には一風変わった方法で幸せになることにしました。これが、将来どのようになるのか、続くのか、切れるのか、さらにくっつくのか、誰にもわからないし保証はありません。結婚式で永遠を誓った夫婦でも1/3は別れる時代ですし、確実なことは存在しないことを僕は知っています。
ただ、保証されることがふたつあります。
それは、
今、僕らは幸せだ。
ということと、
将来、僕らは幸せだ。
ということ。
全ての選択は、正しい。
全てを信じるという選択をします。
ワイパー