謎の打楽器職人『ワイパー・イトウ』の生き様はこんな感じなのよブログ

2017.3.31に35歳時点で会社組織勤めをドロップアウトした、北海道札幌市在住の謎の打楽器職人『ワイパー・イトウ(伊藤 朗)』のブログ。

混沌を愛することは、秩序を愛すること。つまり、矛盾を愛すること。

先日、映画館に行ったときに、映画本編の前に流される他作品予告編の中で、すばらしく響く名言があった。
 
それは、

 

 

 

「秩序ある混沌。」
 

 

 

ある庭師さんが、自分が手入れした庭を誇りをもって、このように表現した。
 
これを聞いて、僕が真っ先に思いついたことは、「秩序ある混沌=ジャズの魂」だなということ。
(※最近、僕の中ではなにがジャズでジャズというものなのか定義できなくなってきているけれど。)
 
 

  
最近見たネット記事で、出処がわからなくなってしまったネタ。

 

絵画の教室で、先生が生徒達に対して「自由に書いて」と指示すると、なぜか生徒達は自由に書けず、不思議とみんな似たような絵を描いた。 
 
そこで、先生が「あなたの好きな作品を完璧に模写して」と指示すると、生徒たちは皆楽しそうに自分のお気に入りの作品を模写する。しっかりと時間をかけて観察し、極めて微々たる違いまで追い求めて。
 
そうしてしばらく経ったあと、先生は「今度はその題材作品を、実物を見ずに、記憶だけで書いて。」と指示する。
 
すると不思議なことに、「先生、実物はこういう感じだったけれど、僕はこういう表現に変えたい。」という積極的表現の表明が生徒達から続々とされたそうである。 
 

人は、自由を与えられても、自由にはなれない。

 
 

  

『混沌は、秩序から生まれる。』
 
 
 
いろんな解釈ができる言葉だと思う。
 

 
秩序という立ち返る場所~安心・安定ができる場所~があるから、混沌を生きることができる。
 

だとか、

 
そもそも、混沌を感じるためには、秩序という存在が必要である(秩序が存在しなければ混沌という概念の存在がなくなる。)。
 

だとか、

 
そもそも、混沌とは秩序のことである。当然に、秩序は混沌のことである。
 

だとか。

 

 

 

 

 

ちょっと文章がまじめすぎましたので、ちょっと薄めますよ

 

ヘイヘイ、アホアホー、オシリプリプリ☆オナラプー
(↑↑↑ これも、秩序ある混沌 ↑↑↑)

 

 

 

 

 

秩序を嫌い、混沌を求めるのは、お釈迦様の掌で転がされていた孫悟空のよう。
 
孫悟空が混沌という自由を感じることができたのは、お釈迦様の掌という足場(=秩序)が存在したからこそ。

 

物語にはいろいろ解釈あるけれど、お釈迦様は自ら掌で走り回る孫悟空を見て愛しく思っていたと思うよ。
 
 

 

秩序は、混沌を与えてくれるもの。 

 

混沌を願うものにとって、ありがたいもの。

 

秩序よありがとう。あなたのおかげで私は混沌でいられます。
 
混沌を愛することは、秩序を愛すること。 
 
秩序の否定は混沌への否定。
 
 

 

そして、究極的には、全ての混沌は宇宙という大いなる秩序<運命>によって制御されている。

 

一見、混沌とした存在でも、そこには何かしらの存在理由があり、そこに至るまでのドラマがあって、かつ、そこに存在するということは宇宙が発生した時点で決定していた。
 
全ての混沌は宇宙の秩序の元に。

  

 

 

決められた人生<運命>よ、ありがとう。
 
私の人生は生まれた時から、全て決められたもの。
 
全て決まっているからこそ、私は混沌を選び、そのことに感謝することができたのです。 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

無職ってすごい、

 

会社勤めだと、こんな文章思いつかないぞ!

 

暇力(ひまりょく)、大事。

 

 

 

みんな、仕事辞めるべwww楽しいよ

(※まあ、真面目な話、明らかな身体症状や自殺願望とか出ているようであれば速やかに辞めたほうがいいと思う。仕事続けてもいいけど、自分の身体の声を聞けなかったらほんとに死ぬでー。)

 

 

 

 

 

 

 

ワイパー