謎の打楽器職人『ワイパー・イトウ』の生き様はこんな感じなのよブログ

北海道札幌市在住のドラマー・パーカッショニスト「ワイパー・イトウ」こと伊藤 朗のブログ。 ●●●●●●●レッスン生募集中●●●●●●● 詳細はこちら → http://wiper-ito.hatenablog.com/entry/2017/06/28/005437  【 お申し込みはFacebook Messengerにて → https://www.facebook.com/akira.ito.3154 】

【下書き】2017.7.7かわかみひろひこ先生によるアレクサンダー・テクニーク・ワークショップ受講記録

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上記図はイトウ画。備忘録として書いたもの。

絵心なく、全く正確な図ではないことにご注意。

 

 

 

 

約1年半ぶりのアレクサンダー・テクニークのレッスン受講。

ATを初めて受講して10年が経ち、近年は本当に1年に一度あるかないかという受講ペースになってしまったが、それでもATのことを忘れたことはないし、日常でも自分なりの理解でATを使用している。

それでも、毎回、「こんな些細なことに気づけていなかった」だとか、「知識としては頭に入っていたが全く体感として入っていなかったものが突然腑に落ちた」だとか、そんなことがあり、喜びと呆れが混じったような複雑な体験をする。

 

今回もたくさん気づきがあったが、特に大きかったのが2点。

 

・背骨と頭蓋骨の接点は、耳の後ろあたりの乳様突起の内側にあるが、頭蓋骨の重心はそれのやや上前方、こめかみの下あたりにある。当然ながら、背骨と頭蓋骨の接点は背骨の上にあるが、頭蓋骨の重心は背骨の上にはない。

 

・肋骨の身体の側面の軌跡について、後ろ斜め上に向かって伸びている。

 

 

前者は、「頭蓋骨の重心は背骨の上にはない。」という部分が今回の重要なワード。

「重心が、環椎後頭関節よりやや斜め前にあることによって、首の後ろの筋肉が細かく緊張・弛緩を繰り返してバランスをとっているんだよ~。」ということは理解していたが、首より下の部分と頭蓋骨の重心の関係はまるで見落としていた。

 

どうやら僕は、知らず知らずの間に「頭蓋骨の重心」を「背骨の上」に持っていこうとしていたらしい。

 

実際、「頭蓋骨の重心の下には背骨は無いよ~。位置関係的には内蔵群の中を通って行くよ~。」と思うと、健全な前傾姿勢の感覚が起きた(周りから見ると前傾姿勢にはなっていない)、とても伸びやかで動きに推進力がうまれ心地よい感じがした。

 

僕は普段の生活からとても後傾していると自覚している。冬場、雪道に滑って転ぶのは後方に向かって。前方に向かって転ぶことはほとんどない。そのほか、歩くとき走るときに謎のブレーキがかかるというか、他人と比べて、前に行こうとする気概に薄いなぁと感じていた。

 

もうかなり昔の話だが、革靴の達人の店で、ちゃんと足のバランスを測定した上で靴を作ったことがあるが、その際、「(足の)指にほとんど体重が降りていないね。もったいない。」と言われたことを思い出した。

 

これは、もう自分の特性でどうしようもないことなんだと思っていたが、どうやら身体感覚の勘違いから来ているものであり、修正することが可能なようだ。これがうまく行けば、前方へエネルギーを出すことが容易になり、楽器の演奏にも好影響がでるはずだ。

 

これから、要観察。

 

 

後者は、解剖学的知識としては随分昔から知っていたのだが、先生から直接口で「肋骨が斜め上後方に向かって~」と説明があったのは今回が初めてだと思う(先生は昔から言っているが僕が気に留めていなかったという可能性は高いが)。

 

「そういえばそうだよね~」と思い、ためしに脇腹に手のひらをあて、肋骨のラインに向かって「上後方に向かって~」と頭の中で語りかけると、先生にハンズオンしてもらったときのあの独特の身体の上前方に推進力が生まれ身体が軽くなり下肢が開放される感覚に近いものが感じられた。

 

「そういうことだったのか!10年目にして初めてわかった!」と思った。

知っているとわかっているでは大違い。

 

上の図でいうところの、肘の下あたりからはじまり、頭蓋骨のはるか上前方に伸びていく矢印に統合されているラインがそれ。なるほど~と思った。この部分の方向性が整うと、骨盤周り・内部と股関節が開放される。すると下肢の動きも開放され、全身の力を淀みなく前方に(楽器を弾くときは手を伝って)届けることができる。

 

逆に言えば、このとき肋骨のラインを間違うと、それより下のエネルギーを利用することはできない。

 

 

 

<以下は、備忘録としての箇条書き>

・上を向くとき、大脳の視覚野の下部で受け取る。下を向くとき、大脳の視覚野の上部で受け取る。

・坐骨の方向。鼠径部からお尻の斜め後ろに向けて強く思う。前方に大きなエネルギーを与える(楽器を弾くなど)と同時に、それ以上のエネルギーを坐骨の方向へ思う。

・視神経はやや上後方・身体の内側方向に集まりながら視覚野に向かう。なぜか首の内側・鎖骨・胸骨の内側あたりの詰まりがとれる。声が響きやすくなる(特に低音)。身体の下部からの繋がりがえ安くなる。

・腕の回外によるストロークストロークと同時に、二の腕はは「内」と思ってやる。するとパワーがでる。

・肩甲骨は僕が思っているより外側にある。腕についていく。外に前に。

・横たわってバンザイ。膝は伸ばす。大変な方の腕から始める。右腕の場合、寝転がったまま左足を右足の上方に向かって動かし、「足が長~い。腕が長~い。」と思っていやる。元に戻す。反対側も同じ。さあどうなるか。

・「身体の奥行きを大事にする」・・・肋骨の方向性を大事にする。肋骨の長さを大事にする。内臓の厚みを大事にする。と思ってやると、僕の場合はうまくいきやすいかもしれない。

・ダラブッカを叩くとき、皮ではなく、太鼓の底辺よりさらに向こうに向かってストロークすると音が太くなる。

・呼吸により自然と身体の色々な部分(胸、腹、背中、腰部など)が動くことを許してあげるとやたらパワーが出る。

・行動する前に間を与える。自律神経系に変化が生じる。そこに指示を差し込む。

ミラーニューロンの話。人は自分の身体感覚以上の話はできない。指導する人は自分の身体感覚を上げることが大事。

・植木バサミ。ペリパーソナルスペースは道具を持つと、その道具にも拡張していく。初めて触れるピアノと仲良くなる方法。

・腕を動かして自分のペリパーソナルスペースに触れる。薄くなっている部分はないか。スペースは地面の中にもあるよ。

・スキップ。足が地面に着地した瞬間重くなる。ので、その瞬間に「(胴体の)奥行」と思ってやる。そのリズムに合わせて。楽器弾く時も同じ。ストロークと同時に「奥行」とか「脇の下に向かってドワーー」と思ってやる。

 

 

【ドラムス&パーカッション レッスンはじめました。】

ドラムス&パーカッション 

レッスン致します。
 
 
 

 
ドラムセットについては、

 

「現代ポピュラーミュージック(※)の演奏に必要な奏法」

(※一口にポピュラーミュージックと言っても大変幅広く、現代の音楽はジャズ、ファンク、ロック、ラテン、クラシック等のあらゆる音楽要素から成り立っています。)

  

が中心となりますが、生徒さんの演奏スタイルによっては、

 

「オーケストラや吹奏楽で必要なクラシックスネアドラム奏法」

 

「マーチングバンド(ドラムコー)におけるスネアドラム奏法」
  
等も教えることができます。
 
 

 

パーカッションについては、

 

カホン
・タンブリン等の各種小物パーカッション
・コンガ等の各種ラテンパーカッション

 

などの基本的な奏法を教えることができますが、生徒さんの目指すものに応じて検討しますのでご相談ください。

 

なお、私は最近ではインドの太鼓・タブラバヤに熱心に取り組んでおり、これについても初歩レベルであればレッスン可能です。

 
  
マリンバヴィブラフォン等の鍵盤打楽器も初歩レベルであればレッスン可能です。

(※イトウが持っていない打楽器も多数あるため、レッスンに使う楽器の手配については要相談です。)
 
 
 

 
基本的に、

  

「全く初めて打楽器に触れる方~初級者~中級者」

  

のレベルの方をお相手とさせていただきたいと思いますが、「上級者」の方であったとしても、場合によりその方がお持ちでないノウハウを提供することは可能と思われます。
 
 
 
レッスン料金は、お試し価格という意味合いを含め
 
 
【1時間 500円】
 
 
とさせていただきます。
 
※公共の有料スタジオを使用する場合は、スタジオ料金をご負担ください。
※場所により私の交通費実費(バス・JR・地下鉄代またはガソリン代等)を加算します。
※当日キャンセルの場合は、レッスン代+スタジオ代+交通費を満額お支払いください。 
※その他、諸費が発生する場合は、私と生徒さんの間で話し合いの上決定します。
  
価格は、私の通算レッスンが20回目を迎えるころに頃合を見て値上げしますので、お得なうちにぜひご受講ください。
 
 
 
レッスン場所は、

 

・公共有料スタジオ
・生徒さんのご自宅に演奏環境がある場合は生徒さんのご自宅
・演奏可能な空き地などがあればその空き地など(笑)
 
です。
 
 
 
レッスン日時は、

生徒さんとの話し合いにより決定します。


(なんなら真夜中や早朝でも可能です。)

  

 

お申し込みは Facebook Messengerにて

<ワイパー・イトウFB>

 https://www.facebook.com/akira.ito.3154

  ※まずは、友達リクエストいただければうれしいです。 

  ※申し込みの際は、

   ・氏名

   ・年齢

   ・性別

   ・住所

   ・連絡方法(電話番号など)

   ・習いたい楽器名

   ・どんなことを習いたいか

   ・演奏経験がある方は簡単な経歴

   ・希望する日時(複数提案をお願いします)

   をお知らせください。

  ※実際のレッスン日は、生徒さんとイトウのお互いのスケジュールのすり合わせにより決まります。イトウは現在、平日のほうが比較的スケジュールが空いています。 

 

 

  

<ワイパー・イトウの打楽器にまつわるプロフィール>

  

 

記憶が残っている限り、一番最初に打楽器に触れたのは、保育所で演奏した木琴。

  

自発的に打楽器を始めたのは9歳の時。

小学校の音楽室にあったボンゴやコンガを、当時の担任の先生が好きだったラテン音楽耳コピーしながら叩き始める。

 

この頃より、兄・姉・仲の良かった従兄弟がなぜか皆、吹奏楽経験者であったことから、熱心に吹奏楽の経験を勧められる。

 

11歳頃には、中学校入学すると同時に吹奏楽部に入部することを意識し、スネアドラムの奏法を独学で習得しようと音楽室に篭るようになる(※なお、小学校は田舎の小さな学校であったため音楽クラブ等はなかった。)。

 

 

中学入学と同時に吹奏楽部に入部。

 

ドラムスは中1の終わり頃から始める。

 

この頃、日本を代表するサルサバンド「オルケスタ・デ・ラルス」が全盛期であった影響で、顧問の先生からラテン音楽の洗礼を受け、ラテンパーカッションの奏法習得に多くの時間を割く。

 

中2頃より、吹奏楽部の活動と並行して、友人同士でロックバンドを組む。

当時流行っていた、X JAPANLUNA SEABUCK-TICK黒夢GREEN DAYなどのバンドミュージックをコピーしていた。

  

同時期、吹奏楽部においてマーチングバンドとしての活動が活発化し、当時、日本武道館で行われた全国大会にも出場した。そのため、イトウもマーチングパーカッションの奏法に傾倒し、本場であるアメリカで演奏することを夢見て親を困らせる。

 

最終的にはアメリカ行きは挫折。しかしながら、この頃に習得したテクニックが現在においてもイトウの礎となっている。

 

中3頃より、顧問の先生が「米米CLUB」好きだったことも影響し、部活動が、歌・ダンス・マーチング・ポピュラーミュージックをミックスしたエンターテインメント集団としての側面が強くなる。

それとともに、ドラムスを演奏する機会が爆発的に増える。

当時影響を受けたドラマーは、菅沼孝三氏、神保彰氏、村上ポンタ秀一氏など。 

 

なお、この吹奏楽部は部活動でありながら年間の本番演奏回数が50回を超える(ときにダブルヘッダーがあったり、授業免除を受けたり・・・)という、今思えば異様なものであった。

 

 

高校入学とともに、高校の吹奏楽局に入局する。

 

同時に、地元の社会人吹奏楽団にも加入する。

 

さらに、多数の先輩方から助っ人ドラマーとして呼ばれ続け、いくつのバンドに加入しているのか全く把握できなくなる(最高6バンドくらい?)。当時のバンド活動では、CRAZE、HI STANDARD、黒夢GLAYJUDY AND MARYなどの邦楽バンドのコピーが多かった。

 

そのため1日の練習時間が異常なことになり、授業の時間に楽譜を書き続け、それ以外の睡眠以外は全て練習に注ぎ込むという生活をしていた。

 

この頃に影響を受けたドラマー・パーカッショニストは、Buddy Rich、Joe Morello、Peter ErskineOmar Hakim、Billy Cobham、Dennis Chambers、Simon Phillips、Steve Gadd、Vinnie Colaiuta、Dave Weckl、Steve Smith、Calixt Oviedo、Virgil Donati、Mike Portnoy、Giovannni Hidalgo、Trilok Gurtu、日野元彦氏、大坂昌彦氏、岩瀬立飛氏など。

 

高2の時、某音大の奨学金試験を受けるが不合格。

 

これを受けて、音楽系専門学校の入学を試みるが資金面等の問題から挫折。

 

そのため就職を志し、高校卒業と共に某役所に入庁する。

 

ちなみに、吹奏楽局や社会人バンドでの活動は就職活動中も一切止むことなく、卒業式間際までやっていた(というよりは、就職活動は音楽活動の片手間にやっていた。)。

 

転勤族であったため、道内各地で社会人吹奏楽団に加入したり、ジャズセッションに参加するようになったり、ロックバンドで活動するようになる。

 

紆余曲折ありながらも、9歳の時から現在に至るまで一度も音楽から離れず継続する。

 

23歳(2004年)より、半年強の間、新村泰文氏にドラムスのレッスンを受ける。

26歳(2007年)より、かわかみひろひこ氏にアレクサンダーテクニークのレッスンを受ける(現在も極めて不定期に受講中)。

35歳(2016年)より、黒田真介氏よりタブラ・バヤのレッスンを受ける。

36歳(2017年)より退職し、フリーマンとなる。

  

 

 

税金を払おうとしたのに、気づいたら串揚げを食べていた。

住民税の納付書が届いたので近所のセ〇ンイレ〇ンに支払いに行った。

 

公共料金支払いだけではなんだと思って、以前から買い忘れていた瞬間接着剤・ア〇ンア〇ファをレジに出した。

 

その時、カバンの中の納付書を探しながら、

 

「(住民税の)支払い1本ありますので・・・。」

 

と店員さんに伝えた。

 

すると、店員さん(若い女性)はなぜかレジを離れて惣菜コーナーでガサゴソやり始めた。

 

(客を放って惣菜コーナーの整理とはどういう接客なんだ。けしからん。・・・お、戻ってきた・・・??)

 

 

あ、

 

 

あれ?

 

 

なんだその紙包み???

 

 

 

イトウ「あの、」

 

店員「?」

 

イ「それはなんですか?」

 

店「? 串揚げです。」

 

イ「串揚げ??」

 

店「はい。」

 

イ「え、なんで???」

 

店「?? 串揚げ1本って・・・。」

 

イ「???」

 

 

 

・・・? ? ?

  

  

  

・・・

  

 

 

 

w

 

 

 

 

ww

 

 

 

 

wwwwwwwwwwww

 

 

 

 

支払い1本 = 串揚げ1本

 

 

ど、

 

 

どういう聞き間違えっwww

 

 

そんなに発音悪かったんだろうか。僕、日本人なんだろうか。

 

なんにしても想定外の出来事すぎてレジの前で爆笑してしまった。

 

  

イ「いいよいいよおもしろいwwwそれくださいwwwww」

 

店「えっ、いいんですか。」

 

イ「いいよ、面白かったよ。ありがとう。」

 

 

僕はお金を払った。住民税と、ア〇ンア〇ファと、串揚げ代。

 

なんかよくわからんが、

 

しばらくニヤニヤが止まらなかった。

 

さぞかしキモかったに違いない。

 

 

僕は店外に出て串揚げを頬張る。生まれて初めてセ〇ンイレ〇ンで買った串揚げ。まさかこんなことで串揚げ童貞を卒業するとは思わなかった。

 

思いのほかカラッと揚がっており、高級感のあるふわっとした食感で、とても旨かった。

 

旨い旨いと言いながら、心の底では「これは今日のブログのネタにしよう」とほくそ笑む。

 

たった百数円の誤りのおかげで、僕は笑いと串揚げとブログネタを手に入れることができた。なんだこれ。バ〇ューセットか。スマイル0円(ただし笑うのは客)か。

 

 

この串揚げ事件について、さらに思いを馳せると「これは神へのオーダーとその受け取りの練習だ(※)」という結論に行き着いた。

(※練習も本番も本当はないけれどね。)

 

 

僕のブログを読むような人達はよく聞く話だと思うが「人生は全て願ったとおりにできている」という法則がある。串揚げが届いたのは、僕が願ったからである。

 

じゃあ、なぜ僕が「支払い」をオーダーしたのに「串揚げ」が届いてしまったのか?

 

たぶん、僕は笑いたかったのだ、しかも、人前で。そして、それを深層心理レベルで願ったのだ。

 

昨日まで僕は東京で大勢の人と会ってきた。実に楽しく革命的な体験だった。

 

それが、家に帰ってきてひとりぼっちになって、やれやれゆっくり休めると安堵した一方、急に周りに人が居なくなってしまったなという思いがあった。

 

一人でも笑うことはできるけれど、大勢ならもっと笑える。もうちょっとだけ人と一緒に笑いたいなという気持ちがあった。

 

あと、ブログの更新が滞っていたのもあったw

 

書くのに時間がかかる大作記事ではなくて、ほんのちょっとクスッと笑えて簡単に書けるなにげない記事で更新したいなと思っていた。

 

 

それが、こんな形で同時に叶うとは

完璧じゃないですか。

  

 

やはり神様というのは注文受け取りの天才なのだ。寸分の間違いのないものを返してくる。

 

「それが僕の望んだものと違う!」というのなら、注文したこと自体を忘れてしまったか、変化球的な注文をしてしまったかだ。

 

変化球を投げないのは大変難しいことだよ。僕らの心はすっかり歪んでいて、真っ直ぐボールを投げられない身体になっているんだ。だから、どういう結果が届くか届いてみるまでわからない。

 

僕にできることは、ハプニングを楽しむだけだよ。そして、そこから湧き上がるメッセージを受け取るだけだよ。

  

  

 

 

 

A「ゴホゴホッ、カゼひいたー。なにか元気が出るもの買ってきてー。」

 

B「いいよー・・・・・ただいまー。はい、特盛うな重

 

A「ブフォォォ!!!」

 

B「え、”元気が出るもの”って言ったから・・・。」

 

A「間違ってないよ、間違ってないけどさwww」

  

 

 

さあ、ハプニングを楽しもう!

 

 

 

 

 

 

その昔、父から「酒のつまみ買ってきて」と言われ、「カツ丼」を買って帰ったことがあった。父は笑いながら「カツ」だけ食べていた。

 

アッハッハ

  

 

 

 

 

 

ワイパー

 

 

 

 

 

【2日目】2017.5.10~21ヴィパッサナー瞑想合宿の記録

ヴィパッサナー瞑想合宿が終わって相当経つので、今さら思い出すことができるのかどうか不安に駆られつつ、この記事を書いている。

 

こんなに日が経ったにも関わらず「まだ1日目までしか書いていない」という事実に心が折れそう。あっ、これ合宿のときの気持ちと全く一緒だ。

 

前回記事はこちら↓

wiper-ito.hatenablog.com

 

 

 

●2日目「襲う激痛。おしっこ地獄。マジ帰りたい。」

 

例によって、朝4時起床。

 

起きた直後、身体の異変に気づく。とにかく背部が痛いのだ。特に右腰部。激しい運動をした次の日のような、はっきりとした痛み。

 

今回の男性コースに先駆けて行われた女性コースに参加したすみぃ氏は腹筋痛に悩まされたらしいが、僕の場合は腹筋痛は全くなかった(痛みの出る部位は、人によってかなり差があるそうだ。)。

 

この痛みの正体は一体なんだろうと推測してみた。

 

[1]日常生活ではありえないレベルの長時間のあぐら座りをしていたため、身体の歪みが生じ、それに伴い痛みが生じた。

 

感情は脳ではなく脳以外の肉体の部位から発生している。また、その肉体の部位によって、抱える感情の種類が異なる。つまり、痛みが生じている部分に対応する感情が刺激されている。

 

1に関しては、僕は左足が上にくるようにあぐらを組んでいた。あぐらは左右対称には絶対に組めないため、体に歪みが生じている可能性は十分だなと思う。

2に関しては、「こういう仮説が成り立ったら面白いな」というものであり、興味深いことなので、後日、体の部位と感情の関係を調べてみたいと思う。もしかしたら、面白い気づきが得られるかもしれない。 

 

 

まーなんにせよとにかく痛いのである。僕は周りから「姿勢が良い」と褒められることが多いので、背中が痛くなる可能性なんて全く考えていなかった。よく考えたら、人生でこんなに同じ姿勢で座り続けたことなんてないので、全く未知の領域なのである。体がびっくりするのも無理はない。

 

記憶が曖昧だが、この日の朝はダンマホールで瞑想を行ったと思う。周りはみんな黙々淡々と瞑想していた。

 

「僕は体が痛くて悶絶しているのに、みんな平気で瞑想している・・・ついていけないかもしれない。」

 

と、若干心が折れそうになる。もしかして、体が痛いのは僕だけなのか、みんな余裕なのかと思いたくなった(考えてみれば、一切喋られないのだから「痛い!」とも口に出せないわけで、「みんなが平気に見える」のは当たり前のことなのである。)。

 

朝の自主瞑想は2時間あるのだが、とてもぶっつづけで座ってなんていられない。たぶん、この日あたりからダンマホールを出て自主的に休憩をとるようになったと思う。

 

眠気覚ましに外出してもよいというので、外に出てみた。

 

曇天。小雨が降っていたようで地面が濡れている。元小学校のグラウンドなので土が剥き出しであり、靴が泥で汚れた。

 

 

で、外はものすごいシュールな光景であった。

 

 

というのは、「合宿中は決められた敷地より外に出てはいけない」&「激しい運動をしてはいけない」という決まりがあるので、みんな外に出てもひたすら目に見える範囲をうろうろと歩きまわるしかないのである。

しかも、「お互いに話しかけられない。目も合わせられない。」ので、お互いに干渉しないほどよい距離をとって歩くはめになるのである。

 

その光景はまるで、スーパーファミコンの名作・ロマンシング・サガシリーズの敵キャラ」のようであった。「あの人に近寄ったら戦闘シーンに突入する」みたいな謎の緊張感があった。

もし、この世にゾンビの街が存在するのであれば、こんな感じだろうなと思った。きっと、僕もゾンビの一人として周りから認識されていたことであろう。あなたはゾンビ、わたしもゾンビ、あぁゾンビゾンビ。

 

 

 

朝6時30分、朝食。

 

メニューの詳細は忘れてしまったが、この日の朝食も美味しく頂いたと思う。

 

ただ、あまりお腹が膨れなかったので、味噌汁をおかわりし、かつ、紅茶をカップ1杯飲んだと思う。

 

これが、合宿を通じての試練に繋がるとは、この時は全く思わなかった・・・

 

 

 

朝8時、グループ瞑想。

 

グループ瞑想中は、ダンマホールからは出てはいけないという決まりがある。

 

しかしだな、

 

だいたい予想つくと思うが、

 

 

おしっこ

したい

  

  

やられた。朝食で水分を摂り過ぎてしまったのである。頭の中に「味噌汁をおかわりさえしなければ・・・紅茶さえ飲まなければ・・・」と後悔ワードが渦巻く。

 

当然ながら瞑想どころではない。ひたすら自分の膀胱との対話である。

  

 

 

大脳「まだいけるか?!」

 

膀胱『もう結構きついっす・・・これ以上きたらやばいっす・・・。』

 

脳「そうはいっても、まだ40分は残っているぞ。」

 

膀『あっ。

 

脳「あっ?」

 

膀『・・・大二波が来たっす、もうだめっす・・・

 

脳「もう少しだけ耐えてくれ・・・っ!」

 

膀『40分は少しじゃないっす!!!

 

脳「仕方ない。腹にグッと力を入れてこらえるアレをやるぞ。」

 

膀『えっ、でもアレは失敗すると余計に小便したくなるリスクが・・・。

 

脳「お前はこのままでなにもしないまま、運命に足掻くこともせず、公衆の面前で醜態を晒す道を選ぶか?それで本当に良いのか?人生にはリスクを選ぶことも時に必要ではないのか。」

 

膀『・・・。

 

脳「やるか?」

 

膀『・・・やるっす!

 

脳「では、いくぞ。準備はいいか?」

 

膀『OKっす。

 

 

「せーのっ、はいっ!!!」

 

 

脳「・・・。」

  

膀『・・・。

 

脳「・・・どうだ?」

 

膀『・・・。

 

脳「・・・。」

 

膀『・・・失敗っす・・・。

 

ナヌッ」

 

膀『やばいっす。今すぐおしっこしたいっす。自分もう限界っす。もうだめっす、出します。っていうか出ます。

 

脳「・・・しかたあるまい・・・。撤退!!」

  

  

  

英断をした。僕はただ無言でダンマホールを出た。

なにしろおしゃべりができないので、「先生、トイレに行ってきます!」宣言さえできない。

 

なので、速攻でトイレに行き、光速でナニを取り出し、パンパンに膨れ上がり悲痛な叫びを挙げている膀胱をその業から開放し、脳内で「戦場から帰ってきた兵士ごっこ」を済ませ、トイレの外に出ると、スタッフの方が立っていた。

どうやら、瞑想が辛くて脱走したと思われたらしい。実際、脱走したかったが。

 

「ホールから出ないでください!」

 

軽く怒られた。

 

「用は瞑想開始前に済ませておいてください!」

 

実は、開始前に2回も行ったんだけど・・・。

 

 

尿意は悪魔だ。奴は、一番来て欲しくない時に計ったようにようにやってくる。

「修学旅行でバスが高速道路に乗った瞬間におしっこしたくなる」の法則を忘れていた。僕は負けた。36年間、なにも学んでいなかった。

 

・・・。

 

そして、なんと、

 

この日を教訓に、以後は「朝食の味噌汁は1杯、しかもお椀に半分。」「その他の飲料は摂らない。」「朝食後は外で散歩し、その後は腹をマッサージして尿意を誘発する。」という努力をしたにも関わらず、「直前まで尿意なかったのに、朝瞑想が始まった瞬間、おしっこがしたくなる」という状態になった。

 

正確には、

 

「ゴエンカ師の声を聞くと、

 おしっこしたくなる」

 

という、実質的に催眠にかかった状態になった。

 

「おしっこするな!と言えば言うほどおしっこしたくなる」の法則に完全にはまってしまい、僕の脳内で、

 

「ゴエンカ師=おしっこ催眠の人」

 

という図式が完成してしまった。

これはあくまでも僕の脳内の話であり、ヴィパッサナー瞑想やゴエンカ師のことを貶めたいというものではないことにご理解頂きたい。

 

 

ちなみに後日、先生に対し、

 

「瞑想すると、おしっこしたくなるんですが、これはなにかのメッセージでしょうか?

 

と質問すると、

 

「瞑想始まる前にトイレに行ってきてください。」

 

との回答。

 

 

で す よ ね ー

 

 

※でも、本当に切実な問題だったのよ。だからこそちゃんと質問したの。ゴータマ師はどうやって尿意に耐えたんだろう。人知れずもぐしてたんだろうか。それでもアニッチャアニッチャ言っていたんだろうか。

 

 

ちなみに、朝瞑想の直後はトイレが混む。どっと混む。.com

 

なんだ、みんな、おしっこ&うんこ我慢していたんじゃないか。

 

 

 

 

今回、おしっこ話に終始したので、瞑想の話も一応書いておく(というか、そっち本題だよ!)。

  

 

記憶が曖昧だが、たぶんこの日あたりから瞑想の方法が若干高度になった。

 

具体的には、呼吸を観察するための肉体の部位が、

「上唇の上辺から、鼻の上方(目の高さくらい?)にかけての部分」

だったのが、

「上唇の上辺から、鼻の下にかけての部分(いわゆるチョビヒゲが生える部分)」

に狭められた。

 

さらに、1分間以上そこに意識を留め続ける努力をするよう指示された。

 

瞑想は日に日にどんどん地味に、かつ、高度になっていく。

  

 

この日あたりから、瞼を閉じているはずなのに、映像のようなものがチラチラ見えるようになった(この関係の話は後日書きたい。・・・忘れていなければ。)。

 

また、「あぁ、これが瞑想しているってことかな。僕は瞑想していますって公言してもいいレベルかな。」と思えるようになってきた。

 

  

 

  

さて、番外編。

 

他人とコミュニケーションをとってはいけない、いわゆる「聖なる沈黙」。

 

これを一度だけ破りそうになったことがある。

 

それはどんな場面だったかというと、

 

相部屋となった人が寝言で、

 

「ああ、そうですか!ええ、わたしはいいと思います!やってしまってください!」

 

と言ったので、「えっ、なんですか?!」と返事しそうになったのである。

 

あまりに鮮明な喋りだったので、寝言だと気付けなかった・・・!

 

こういう地雷もありますぞ、という話であります。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワイパー

 

 

恋愛 そして ポリアモリー

2017.4.18から、ある女性と交際しています。

  

その女性とは、珠帆美汐(たまほみしお 愛称:たまちゃん)さんという方。

  

※普段僕は彼女を本名で呼んでいますが、このブログ中では「たまちゃん」と呼ぶことにします。

  

彼女は、兵庫県出身ですが北海道在住で、スピリチュアルコーチと名乗り、タロット占い・手相占い・カウンセリング技術等を駆使した対人援助、人間の精神的成長などに係るイベントのオーガナイズ等をしています。

  

特に、恋愛観や結婚観といった所謂「パートナーシップとはなんぞや」ということに重きをおいており、数年前から、彼女自身が「ポリアモリーという新しいパートナーシップの形に取り組んでいます。

  

ポリアモリーとは、2人以上の交際相手を同時に持つことです。

  

今の彼女で言えば、旦那さんと彼氏2人(うち1人がイトウ)の計3人と交際しています。

  

二股・浮気・不倫と決定的に違うのは、交際関係者全員が、その交際関係を把握し、かつ、その状況を受け入れているということです。

また、「状況を受け入れる」とは「状況を黙認する」という意味ではなくて、「自分の交際相手は、自分の他にも交際相手がいる」という事実に真っ向から向き合い、納得した上で、心に受け入れるということです。

  

ポリアモリー - Wikipedia

 

 

  

なお、彼女は現在の交際関係について、先日、ブログ等で世間に交際相手の実名付きで公表しました。

  

ameblo.jp

 

  

ポリアモリーに取り組むかどうかは当然に当事者間の問題なので周りにそのことを公表しなければならないということはないのですが、あえて、世間から誹謗中傷を受ける可能性があるリスクを抱えてまで公表しました。

  

公表の狙いはなにかと言うと、現代日本社会ではモノガミー(1対1の交際)しか認めない風潮がある一方で、モノガミーに疑問を持つ人達が一定程度存在し、また、その人達の多くはモノガミーという枠の中で我慢しているであろう状況です。そんな中、人生を輝かせる方法としてポリアモリーという選択をした彼女自身が新たな人生モデルとなり、それをさらけ出すことで、「こういう幸せのカタチもあるんだよ。」というメッセージを世間に送ることです。

  

なお、決してモノガミー否定をしたいわけではなくて、モノガミーでパートナーがお互いに幸せだと全力で言えれば、それはそれで実に素晴らしいのです。やりたかったことは、あくまでもモノガミー社会に苦しみや限界を感じた方への、新しい選択肢の提示です。「モノガミーにこだわらなくとも幸せになる方法はあるよ」ということを提示・実践・証明してあげたいわけです。

  

 

 

で、彼女が交際関係を公表したことを受けて、交際関係について僕視点で今回のブログに書きたいと思います。

  

その前段として説明しておきたいことがあり、それは僕の恋愛観についてです。

 

2017.5.28に彼女と共催という形で、こんなワークショップを企画・開催しました。

  

www.facebook.com

  

   

その中で僕にとって重大な気づきがあり、ポリアモリーにも密接に関わる内容だったので、まずはそれについて書きます。

  

その気づきは、参加者のひとりから「結婚とはなにか。恋愛とはなにか。交際とはなにか。どこからどこまでが交際しているというのか。」といった趣旨の質問がなされ、僕が答えることになったその場面で得られました。

  

「良い質問だ!」と思いました。なぜなら、「まさに僕自身が探していたこと。悩んでいたこと。知りたかったこと。」だったからです(なんと、たまちゃんと交際開始してからもずっと考えていました!)。

  

このことについて、まさにその場で天から降ってきたように良い回答ができたので、紹介します。

 

 

  

以前は、僕は人間というものはひとりひとりが不完全で、数字に例えるなら、「ひとり=1/2」のようなものだと思っていました。

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だからこそ、誰か別の人と交際することで「1/2+1/2=1」という、完全な状態を目指しているのだ思っていました。

   

でも、この説明だと、

   

・別に交際関係ではなくとも知人・友人でも成り立つのではないか

 

・「不完全な部分を他人で埋める」というのは、納得できる部分もある反面、すごく共依存的でネガティブなイメージが湧いてしまう。交際相手にもたれかかっていないと生きていけなくて、すなわち、自分の人生の下駄を他人に預けてしまったかのような感じがする。

 

・離れてもくっついても、一人に注目すれば「1/2」ということに変わりない。つまり、交際してもなにも変わらないのではないか。

 

・そもそも、僕自身は自分を「1/2」ではなく「1」だと感じている。自分ひとりでもある程度幸せな感覚が得られている。だから、このように交際を定義づけると、交際をする必要性が無くなってしまう

  

という考えに僕は落ち着いてしまいました。

 

  

ところが、質問の回答に際し、僕に新たに芽生えた恋愛観が↓↓↓です。

  

・「ひとり」というのは、「ひとり=1」であって、既に完成である。

 

・人同士は交流することができ、そのときには「1+1=2」になる。

 

・ところが、人は「親密になればなるほどエネルギーの交流が起き、その結果、足し算ではなく、掛け算のようなイメージでエネルギーが増す」という性質がある。

  

【知人であれば (1+1)の1乗=『2』】

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【友人であれば (1+1)の2乗=『4』】

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【親友であれば (1+1)の3乗=『8』】

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<恋人であれば (1+1)の4乗=『16』>

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・ひとりひとりがバラバラに活動するとエネルギー交流が起こらず、結果として上記のような掛け算は発生しないので「1」を超えることはできない。従って、『「1」を超えたい』と願った者は、他人と親密に交際することに身を投じ、エネルギー交流という掛け算を発生させる必要がある

 

・掛け算により発生した数値は、交際者同士の共有財産となる。つまり、WinWinの関係となる。

 

・ただし、親密になればなるほど「お互いの、精神的にも肉体的にも、深い部分、繊細な部分、弱い部分、怖い部分」にコミュニケートすることになる。親密になった状態でコミュニケーション不全が起これば掛け算は起こらない。それどころか「マイナスの掛け算」が発生する可能性があり、そのなった場合は離れる必要がある。

 

・どの程度親密であれば「親友」や「恋人」と呼ぶのかについては、個人の感覚の問題であり、好きなように定義すればよい。しかしながら、交際相手同士が現在の親密度を定期的に確認して、感覚を共有する必要があると思う。

  

まとめると、

  

既に完全な自分として人生を歩んでいる者が、

ひとりでは実現不可能な領域があると自覚したときに、

パートナーと親密なエネルギー交流をすることで掛け算を発生させ、

さらに充実した人生を送る。

  

というのが、僕の恋愛観です。

  

共依存の関係」ではなく、「共成長の関係」なのです。

  

「あなたがいないと、わたしはダメになってしまう。悲しませないで!」

『まじかよ・・・。重い・・・。逃げられない・・・。』

  

ではなく、

  

「あなたがいると、わたしはますます素晴らしくなってしまう。ありがとう!」

『彼女を成長させる存在である俺は素晴らしい!楽しくて離れられない!』

  

です。

  

こういう恋愛観を自覚したことで、『なぜ、僕がまだまだ社会に定着していないポリアモリーという関係を組んでまで、たまちゃんと交際するのか』という理由がはっきりするのですよ。

  

想像すればわかると思いますが、彼女との交際開始~交際当初には僕自身の固定観念との葛藤がたくさん起きました。

  

例えば、

  

・既婚者と交際するなんて、許されるのか?→結婚したら1対1を貫かないといけない。)

 

・旦那さんともうひとりの彼氏さんは、僕の交際を了解していると言ったが、本当に本心なのか?(→他人は本心は喋らない。または嘘をつく。または隠す。または我慢する。)

  

・僕が交際することで、家族関係の破壊に繋がらないか?(→男女関係の複雑化は既存関係を破壊する。)

  

・万が一、妊娠させてしまったら、どうするのか? (→妊娠させたら責任とって結婚しなければならない。旦那さんと別れてもらわなければならない。)

 

・僕は無職で現在無収入。彼女に経済的支援はしなくていいのか?職に就いてから交際すべきではないか?(→男は経済力でもって、女を養わなければならない。)

 

・ドラマみたいな泥沼の三角関係に陥るのではないか?下手すりゃ殺されるのではないか?(→嫉妬は時に人を殺す。)

  

といったような。(→が固定観念

 

  

そのような恐れを感じてもOKした理由は・・・ここで、恋愛観の話に立ち返るのですが、

  

『僕とたまちゃんなら、エネルギーの掛け算を起こすことができる。』

  

『僕もたまちゃんも、お互いにひとりでは越えられないステージに立っている。』

  

『2人のエネルギー掛け算でもって、次のステージに向かおう。』

  

『それは、固定観念に逆らってでもやる価値がある。』

  

ということなのです。

   

 

これを読んで、「ちょっとまって。イトウはともかく、たまちゃんは既にパートナーが2人いるじゃない。なぜイトウと交際する必要があるんだ。」と思った人は鋭いです。なので、このことについて説明します。

  

 

旦那さんは、極めてすごい生活力と実行力がある方。建築士で家具職人で調理師。セルフビルドのおしゃれで大きな家を建て、ほとんどの家具を全て自分で造り、たまちゃんの職場(賃貸セミナールーム)に水道を引き、ガスを引き、素晴らしい仕事環境に整えた。大きな自家菜園を耕し新鮮な野菜を収穫し、毎日のように手の込んだ美味しい食事を提供する。最強の専業主夫

  

 

もうひとりの彼氏さんは、ギター弾きで歌うたい。その音楽で、たまちゃんの人生に喜びを与える。人脈に優れ、たまちゃんに対し新たな繋がりを積極的に提供する。彼もまた料理をする。しかも、義務感によるものではなく、楽しそうに作ったものを、これまた楽しそうに分け隔てなくいろんな人に振舞う。彼が心優しい人物であることは、会って5分でわかる。

  

では、

 

イトウはたまちゃんに対してなにをしているのか?

どんな喜びを提供しているのか?

たまちゃんはイトウのどんなところに魅力を感じているのか?

なにをしてもらいたいのか?

  

僕は、家は建てられません。農業スキルも皆無です(実家は農家なのに・・・苦笑)。料理は壊滅的に下手です。音楽やりますがギターは弾けません。人脈も広くなく、引っ込み思案な性格なので消極的です。

  

僕が彼女に与えているもの・・・交際当初は全然気づけなくて、何度も何度も「はて?なんで交際しているんだろう???」となりましたが(苦笑)、交際期間が1ヶ月ちょい過ぎた現在、ようやく見えてきました。

  

それは、

  

『彼女の言葉の本意を理解すること。そして、それを具現化すること。』

  

でした。

  

具体的には、彼女の生業であるコーチ業に関することです。

  

彼女の地頭力は飛び抜けてすごい(さすがW大卒だ・・・っていうのは僕の固定観念ですね。)のですが、すごく特徴(悪く言えば、欠点。)があります。

  

それは、能力がやたらと偏っているのです。

それは偏見だろと突っ込まれるのを承知で表現するならば「超文系脳」「超右脳人間」。

本人もそれを自覚しています。

  

文章・言葉・芸術といったものに対する理解力、感受性、共感力、想像力、分析力といった能力が凄まじく高いのですが、事務力、計算力、計画性、具体化力、整理整頓といった能力がとても低い。

  

それでも彼女は地頭力が高いので今までなんとかこなしてきたのですが、「自分の苦手分野の労力に体力を奪われて、本来の自分の得意分野をこなすことができないストレス。」だとか、「素晴らしいアイデアを思いついたが、具体化できずに実現できないストレス。」といったことをたくさん抱えていたのです。

  

そこで、ポッと現れたのが、イトウです。

  

彼女の仕事は「人の心を扱う」という非常に繊細なものであり、そこに彼女の特性も加わって、彼女の言葉とその裏にある意向を把握しつつ、それを具体化(文書化したりワークショップを企画したりすること)するのはとても難しい・・・

  

らしいです。

  

というのは、僕がやっていることは彼女の話を聞いて、

  

「それってこういう趣旨だよね?じゃあこういう風にしたらどうだい?プリント作って送るね。」

  

って、ただそれだけです。大したことをやってません。

  

ところが、彼女は大変喜んでくれます。その喜び方はもはやギャグマンガの世界。「えっ、たったこれだけのことで、そんなに喜ぶの!?!?」と思うほど。

  

僕は今の今まで全く自覚がなかったのですが、この能力はけっこうレアもので、旦那さん、もう一人の彼氏、そして、歴代彼氏などを含めても誰も持っていなかったようです。

  

彼女は今まで十何年も自営業をしてきました。旦那さんや、もうひとりの彼氏さんは、家事や環境整備といったことで間接的に彼女の仕事を支えてきました。ただ、彼女の仕事内容に直接的にどっぷり浸かるということはありませんでした。この「どっぷり浸かる」役目が、僕なのでしょう。

  

「じゃあ、別に交際しなくても、たまちゃんの『専属社員』みたいな感じで、報酬を受け取りながら業務補助する関係でいいんじゃないの?」という意見がありそうですが、1ヶ月強付き合って感じましたが僕と彼女の会話は毎回激烈濃厚で、「この会話、もったいないな。録音して文書起こしして本にしたら売れるんじゃないかwww?」と思うほど。

 

報酬による雇用関係だけの人にはたぶん厳しいでしょう。先に書いたように、濃厚な関係だからこそエネルギー循環による掛け算が起こって仕事がこなせるようになるのです。

   

サラリーマンやっていた(又はやっている)人は、会社勤めのとき思いませんでしたかね。

  

「仕事同士の付き合いなんて上辺だけのつまらないもの。みんな、当たり障りのないことや、世間話しか言わない。ああ、もっと濃厚に付き合って本気の仕事がしたい!

  

僕はずっとそう思っていました。

  

それがとんでもないカタチで実現しましたwww

  

毎回彼女に鍛えられています。

  

 

 

 

記事のまとめとして、

  

 

  

どんな選択をしてもよい。

  

大事なのは、

  

その選択は純粋な本心か。

  

交際関係者全員に腹を割って話したか。

  

交際関係者全員を愛しているか。

  

 

 

これができれば、たぶん、大丈夫。なにが起きても。

  

  

  

これがフリーセッ〇スと全く違う点。

   

 

遊びではないのだよ。本気なのだよ。

  

自分の肚の欲求にサレンダーし、

  

かつ、

  

関係者全員の幸せとの両立を全身全霊で願うこと。

  

それが、

  

 

ポリアモリー

 

 

 

  

僕は、全力で彼女の旦那さんともうひとりの彼氏さんを尊敬しています。

  

この間、旦那さんと面と向かいました。もともと旦那さんも僕も口数は少ない方なので、本当に会話は短いものでした。

  

旦那さんは、

  

「よろしくお願いします。妻を幸せにしてください。」

  

と言いました。

  

なんだかんだ緊張していましたし「よろしくお願いします」と一言あっさり返しただけのような気がするけれど、今、こうやってブログに書き出すと、すごい言葉ですね。旦那さんの器のでかさに改めて心打たれ、涙が出そうです。

  

旦那さんが、たまちゃんと過ごした約30年の重みは、僕には図りしれません。陳腐な文章は要りません。この事実が旦那さんの凄さを語ってくれています。

  

もうひとりの彼氏さんは、僕が全く持っていないものをたくさんたくさん持っています。交際期間は僕より遥かに長く、その間にたまちゃんに与えたものは膨大で、これからも、与え続けていくことでしょう。

  

 

僕は、たまちゃんを、僕にできること、僕なりの方法で愛します。

 

あくまで僕は僕。

 

比べる必要はないのです。

 

僕は、旦那さんやもうひとりの彼氏さんから、たまちゃんを奪いに来たのではないのです。

 

たまちゃんは、だれの所有物でもありません。

  

僕らは、現在の社会常識的には一風変わった方法で幸せになることにしました。これが、将来どのようになるのか、続くのか、切れるのか、さらにくっつくのか、誰にもわからないし保証はありません。結婚式で永遠を誓った夫婦でも1/3は別れる時代ですし、確実なことは存在しないことを僕は知っています。

  

ただ、保証されることがふたつあります。

  

それは、

  

今、僕らは幸せだ。

  

ということと、

  

将来、僕らは幸せだ。

  

ということ。

  

 

 

全ての選択は、正しい。

 

 

  

全てを信じるという選択をします。

  

  

  

  

  

  

  

 

 

  

  

ワイパー 

 

【1日目】2017.5.10~21ヴィパッサナー瞑想合宿の記録

さて、ようやく書く気が起きてきたので、ヴィパッサナー瞑想合宿記録の続き。

 

↓↓↓前回記事はこちら↓↓↓

wiper-ito.hatenablog.com

 

 

 

●1日目「瞑想って、地味。」

 

 

1日目。

 

 

「コーーーーーーーン・・・コーーーーーーーーン・・・」

 

 

スタッフさんの叩く鐘の音が鳴り響く。

 

朝4時起床。

 

目覚まし時計は持ち込みはOKなのだが、アラーム使用禁止(他の参加者の集中の妨げになるものはとことん排除される)のため、参加者はこの鐘の音に従って行動することになる。

ちなみに、時計は駆動音が大きいものに関してはダンマホール(=瞑想場)への持ち込みは禁止。

 

4時起きなんてできないかと思ったが、修行に来たという緊張感があれば意外とできるもんだ。

 

スケジュールについては、下記のとおり(4日目、10日目は少しイレギュラーになる。)。

 

4:00 起床

4:30~6:30 自主瞑想(※1)

6:30~8:00 朝食&休憩

8:00~9:00 グループ瞑想(※2)

9:00~11:00 自主瞑想

11:00~13:00 昼食&休憩

(12:00~13:00 指導者との面談(希望者のみ))

13:00~14:30 自主瞑想

14:30~15:30 グループ瞑想

15:30~17:00 自主瞑想

17:00~18:00 ティータイム

18:00~19:00 グループ瞑想

19:00~21:00 講話&グループ瞑想

21:00~22:00 就寝&消灯

 

※1 自主瞑想・・・各自、ダンマホールまたは自室にて瞑想を行う。外に出たり、トイレに行くなど、短時間の休憩は可。

※2 グループ瞑想・・・全員がダンマホールに会して行う瞑想。ダンマホールから出ることは一切できない。

 

 

 

4時30分、ダンマホールに向かう。

 

「初日の朝一発目から、みんなそんな真面目に瞑想したりしないだろう。」と思いきや、めっちゃ来とる。

「やべぇ、甘い気持ちで参加したの自分だけか。」と少し動揺する。

 

 

まぁ、とりあえずやってみよう。

 

 

というか、習ったのは「鼻周辺の感覚でもって、呼吸を観察する」というただその一点だけ(前回記事参照)

これだけを4:30~6:30までの2時間、ひたすらやれと。

どういう新手の拷問だよ。

 

正直、どのようにこの時間を過ごしたのか、全く記憶にない(汗)。もしかしていなくとも寝落ちしていたのかもしれない(辛かったという記憶があまりないので・・・。)。

 

そして、大体6時くらいになると始まる、ゴエンカ師のありがたい詠唱。

通称「モーニング・ゴエンカ・リサイタル」

  

 

長い。

 

 

長い、長い

 

 

長い、長い、長い、長い、長い、長い、長い、長い、長い

 

 

正直、

 

 

帰りたい。

 

 

なお、この参加者の心をへし折るゴエンカリサイタルは、これから最終日に至るまで毎日行われるのである・・・。

 

ばばとぅ~さ~ば~まんげらん~~~

 

ばばとぅ~さ~ば~まんげらん~~~

 

ば~ば~とぅ~~~~

 

さ~~~ば~~~~

 

まんげ~~~~~~~~

 

らん~~~~~~~~~~~~~~~ ンムッ

 

 

 

まんげがどうしたって?!(怒)

 

 

 

・・・。

 

 

 

そして、7時から朝食。

 

初日のメニューは確か、「白米または玄米」「味噌汁」「漬物」だった気がする。飲み物は「ほうじ茶」「紅茶」「豆乳」「牛乳」「インスタントコーヒー」が選べる。

「殺生はだめよ&刺激物はだめよ」というスタンスだったと思うので、牛乳とコーヒーが提供されるのは意外だった。

なお、全ての食品は、油に関してはココナッツオイルを使用しているようであり、かつ、使用を最小限に抑えているので、脂っこい食物は全く期待できない。

 

いわゆる小学校の給食配膳スタイルのような感じで、みんなそれぞれお盆と器を拾って盛っていく。なお、所謂「聖なる沈黙」ルールのため、なにも会話がなされないまま自分の順番を待っている集団の列というのは実に奇妙な光景だった。

 

不思議だな~と思ったのは、「白米」と「玄米」と両方盛っている人が結構いたこと。お椀の中に茶と白のツートンカラーができている。これはなんでだろう?「玄米嫌いだけれど、少しでも食べておかなきゃ。」という気持ち?それとも「出されたからには手をつけなければ失礼。」という気持ち?

 

まあ、いろいろと思うことはあったが、食事は全体的に大変美味しかった。スケジュールを見てわかるとおり、「瞑想」と「休憩」しか存在しないので、食事時間は大変な癒しタイムだったのである。

 

 

 

その後は、延々と瞑想タイムが続く。

 

 

1日4回ある各グループ瞑想の前には、瞑想法についての指示があるが、その内容については前日のものと変わらず「鼻周辺で呼吸を観察しろ。」。

  

 

今日、1日中それだけかい!

 

 

「座っているだけなんて、楽勝だぜ。」と思っていたが、早々に 絶 望 した。

 

ひたすら「座る→呼吸を観察」の繰り返し。こ、これが、10日間続くのか・・・。

 

古い生徒(=参加2回目以上のリピーター)が参加者の半分近くを占めていたが、「これに2回参加する人の気がしれない」と思った。

 

それでも、グループ瞑想の回を重ねる度に、事前説明での助言が少~しずつ少~~しずつ増えていって、なんとなく「そういう観点で見ればいいのか」というものがわかってくる。

 

例えば、

 

・息はどちらの鼻の穴から出入りしているか?右か?左か?両方か?

・息を吸うとき、空気は冷たい。吐くときは、暖かい。

・息は鼻腔のどこに当たっているか?

・鼻腔~気管にかけて、どのような感覚を感じるか?

・鼻と唇の間の部分(チョビヒゲの生える部分)で息の感触を感じることはできるか?

・肌の表面に「痒い」「痛い」「熱い」「冷たい」等の感覚はないか?

・筋肉に緊張や痙攣はないか?

・鼻の筋肉はどのように動いているか?

・鼻骨の存在は感じられるか?一番高い部分はどこか?

・鼻腔の湿り具合はどうか?乾燥しているか?湿っているか?

 

という感じ。

 

おお、今、こうやって書き出して初めてわかったけれど、

意外と忙しいなこれ。

と、まあ、こういうことを探索しつつ感じ続けなければならない。

 

難しいのは「感じ続ける(=観察し続ける)」ということ。

 

途中で、「あと何分かな~早く終わんないかな~。」「あっ、そういうば家の鍵ちゃんと閉めたっけ。」「今、何曜日だっけ。」「あ~収入源なくて将来生きていけるのかな~。」「終わったら最初になに食おうかな~。」なんて雑念が入ると、観察が途切れる。

 

それがだめというわけではなくて、「修行を始めたての人であれば、観察が途切れるのが当たり前」なのである。今、やっていること、目指すべきこととは、どれだけ「観察を途切れずに続けられるか。途切れても、すぐに観察することに戻って来れるか。」という技術を磨くことなのである。

 

この文を読んで、「そんな簡単なこと練習するまでもねぇってwwwヴァカの集まりじゃねぇのwww暇人乙wwwwwwwwwwwww」と思った方は、ぜひ自分でチャレンジしてみて。最初は、5秒、いや、3秒もたずに雑念入って切れるから。

 

  

ほら、

  

意外とできないでしょ???

  

  

というか、そもそも「鼻で呼吸を感じる」ということができない人も多くいるようだ。

※最終日に会話ができるようになった後の他参加者の話で、「鼻で呼吸を感じることができなくて、初日はそれで終わった。」という人が結構いた。

  

 

なお、記憶がもう曖昧だが、1日目は瞑想中に壮大な気づきみたいなのはなかったような気がするなぁ・・・寝落ちしてたのかなぁ・・・。

  

 

 

そして、17時からはティータイム。

 

バナナ1/2カットを2切れ、オレンジ1/8カットを2切れを食べられる(余りがあればおかわりも可)。

 

このティータイムは貴重な心のオアシスであった。外に出たら、バナナを腹いっぱい食べてやろうと思った。

 

この日は、バナナとオレンジを4切れずつ食べ、紅茶かなにかを2杯飲んだ。

 

ふー満足・・・と思いきや、僕がこのとき大きな罠にかかっているとは思いもしなかったのである。 

 

 

   

ティータイムの後は、18時から1時間グループ瞑想。

 

 

この時の僕の心は、

 

 

 

「・・・オシッコ・・・したいっっっ・・・!!!」

 

 

 

という渇望ではちきれそうだった。

 

いや、はちきれそうだったのは心ではなくて膀胱だ。

  

鼻で呼吸を感じるどころではない。膀胱で呼吸を感じている。

 

深呼吸をした瞬間、ちびりそうだ。

 

全ては、ティータイムでお茶をがぶ飲みしたせい。

 

結局、おもらしすることはなかったが、生きた心地がしなかった。当然、瞑想も全く身に入らなかった。

 

 

その後、講話(ちなみに、講話もCDで行われる。ゴエンカ師の談話を日本語訳したものをお姉さんが読み上げたもの。)にて、

  

 

「満腹感は3/4まで。ましてや、食い過ぎなど言語道断。」

 

 

それ、

先に言ってよ。

 

おかわりあるなんてずるいぜ・・・つい手が出てしまうじゃないか。

 

なお、このオシッコ事件が、このあとの9日間にも影響してくるとは、この時は全く思いもしなかったのである・・・。

 

 

 

そして、22時に就寝。

 

「1日中、目をつむって座ってたのに、こんな早い時間帯に寝れるのかよ・・・。」

 

 

 

 

10分後

 

 

 

 

ぐごーぐごー。

 

 

 

結論:瞑想は疲れる。故に、すぐに眠れる。

※これは、僕だけではなくて、ほとんどの人はそうで、はじめは不眠を心配するが意外と寝れてしまったそうだ。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

ワイパー

 

 

 

【0日目】2017.5.10~21ヴィパッサナー瞑想合宿の記録

さて、忘れないうちに、2017.5.10~21ヴィパッサナー瞑想合宿の記録を残しておこう。

  

↓↓↓ 前回記事はこちら ↓↓↓

wiper-ito.hatenablog.com

 

 

さて、そもそもなんでヴィパッサナー瞑想合宿なんぞ参加しようと思ったのかというと、昔、ヴィパッサナー瞑想コースに参加した経験のある彼女から、

 

「おもしろいよ!北海道で開かれるなんて貴重だよ!」

  

と言われたからである。

 

実際、かなり貴重なもののようであり、日本では基本的に千葉県と京都府でしか開催されていない。おまけに、2週間近くのスケジュール調整が必要であることを考えると、無職のうちに一度受けておこうと思ったのである。

 

そう、無職というのはすごい。なにしろ毎日やることがないので、なんでも手を出せるのである。

 

 

で、

 

そもそもヴィパッサナー瞑想ってなんなのかという話だが、僕自身はなんとなく聞いたことがあるような無いようなうにゃもにゃというレベルの知識だった。

 

そのため、基本的に真面目な性格の僕は、あらかじめ本やネット等で少し予習しおこうと思ったのだが、おそらく予習したところで身につくはずもない独習が限りなく不可能に近い系のことのだろうなという直感が働いたので、日本ヴィパッサナー協会のホームページをちらっと読んだくらいで、これ以上の予習はしないこととした。

 

日本ヴィパッサナー協会ホームページ

https://www.jp.dhamma.org/ja/

 

(このホームページを見たとき「ミョーな新興宗教ではないか。怪しい・・・。」と勘ぐってしまう僕は、石橋を叩いて割り鉄骨で橋を掛け直した上で命綱付きで橋を渡るタイプの人だ。)

 

 

 

合宿参加の数日前に、個人事業を営んでいる友人達を集めて彼女宅で謎の合宿を行った。その合宿に参加したすみぃ氏が、先立って行われた2017.4.25~5.6女性限定コースに参加し帰還した直後だったので話を聞くと、

 

「腐乱死体とか、グロテスクな風景がいろいろ見えた。」

 

だって。

 

また、彼女は、

 

「私は、児童の痛ましい事件のニュースとかのネガティブ映像がたくさん見えたよー。」

 

と言っていた。

 

しかし、結局のところはどんな内容かさっぱりわからなかった。

 

これは体験して確かめるしかないのだなと確信した。

 

 

 

ちなみに、合宿は10日間コースと題されているが、前後におまけ日が1日ずつ付くので計12日間の日程となっている。そのため、「初日=0日目」「最終日=10日と1日目」という表現にしたのでご了解いただきたい。

 

 

 

 

●0日目「なんか怪しさ満点だが。」

  

そもそも、僕は36年間北海道民であるが、ニセコに行ったことがない。というか、ニセコって、どこ。僕の脳内地図では札幌以西はまるでRPGのまだマッピングされていない地図のように真っ暗なのである。

 

自分の車で、札幌市内は石山通を走り、中山峠を超え、喜茂別町京極町倶知安町ニセコ町と進む。

 

中山峠を降りたところで、2つの美しい山が現れる。これは「羊蹄山」と「尻別岳」なのだろうか。普段、アウトドアなことに興味がない僕でさえ強力な感動を覚えた。特に羊蹄山はそのフォルムが美しい。残雪の残り具合も絶妙で最高に美しかった。

 

しかし、これぐらい高い山はほかにもたくさんあるし、たまたまフォルムが美しいというだけでなぜ感動するのだろう。山というものの存在は美しかろうがそうでなかろうが価値は変わらないのに。この感動の種類はなにかに似ている。そして、はっと閃いた。

 

「美巨乳の人を発見した時の感動と同じだ・・・!」

 

美しかろうがそうでなかろうが、大きかろうが小さかろうが、その存在価値は変わらない。そのことは頭ではわかっていたとしても、反射的に魅せられてしまう力がある。

 

すべてが腑に落ちた。

 

 

   

おそらく、合宿に入ったら刺激的なものは口にできないのだろうと思い、喜茂別町セブンイレブンでホットコーヒーLサイズを買う。美味い。これが最期かもしれないと思うと本当に美味いホリエモンが刑務所に入る直前に行われた送別晩餐会の味って、こんな感じなのかもしれない。

 

 

ニセコ町に入る。

 

小さな町で農業もさかんな田舎であるが、僕の生まれた道北や長年仕事をした道東の田舎とはちょっと趣が違って、北欧(?)風な建物がちらちら目に入り、お洒落な感じ。外国の片田舎に来たような風景。外国行ったことないけど。

 

しかしながら、曇天のせいで暗い印象を受け、あまり第一印象が良くなかったのが残念だった。まるで、今回の合宿の先行きを暗示しているようである。

 

 

合宿所に着く。

 

<合宿所>

校舎の宿カリンパニ・ニセコ藤山

北海道虻田郡ニセコ町ニセコ336-1

https://www.karimpani-niseko.com/

 

今は旅行者、ウィンタースポーツ愛好家、登山家、写真家などを主客としたユースホステルであるが、元は小学校の校舎だったようである。とってもコンパクトな作りで、1~6年生合わせても10人くらいだったんじゃないかなと想像させるような大きさ。

しかし、入ってみるとなんとも言えない違和感を感じる。なんだか「お客を泊めるための施設」という気配がまったく感じられないのである(なお、その理由は「最終日10日と1日目」に明らかとなった・・・。)

 

車を止めて、手荷物や布団を下ろす。掛け布団等は持参なので、結構な量である。

 

集合時間は17時のところ16時くらいに着いたので、まだ来ていない人も多いようであり人の気配は少ない。

 

そして、詳細はあとで書くが、合宿中はたくさんの決まりがあり、その中でもかなり重いのが「聖なる沈黙」である。要するに合宿中は喋ることもボディランゲージもまったくできないのである。そして、合宿に参加する人は皆、事前情報としてそれを知っている。だから、合宿参加者と思われる方とすれ違っても、あいさつできないし、むこうからもあいさつしようとしない。

 

すごく変な感じ。

 

 

 

そんな妙な空気の中、17時頃からオリエンテーションが始まる。

 

参加者は意外にも半分近く外人さん。アジア人ではなく、白人さん(北欧とかオーストラリアとかの出身ぽい?)。

 

見た目20代くらいの若者も多く、その大部分はいわゆるバックパッカーみたいなことを生業にしている感じだった。

 

僕を含む30代より年配っぽい人たちも結構いたが、いかにも一般的な企業勤めはしていません的な人が多かった(自分含む)。

 

 

スタッフ「この後、〇〇時からグループ瞑想を行い、『聖なる沈黙』が始まります・・・」

 

 

・・・。

 

 

まだ喋ってよかったんかい!

 

参加者の間で、ビミョーな空気が流れた。

 

 

 

なお、規則は ↓↓↓こんな感じ↓↓↓

 

・いかなる生き物も殺さない。

・盗みを働かない。

・いかなる性行為も行わない(質問はしなかったが、たぶんオ〇ニーも禁止と思われる。)。

・嘘をつかない。

・酒や麻薬などを摂取しない。

・正午以降食べ物を摂らない(「古い生徒=1回以上合宿参加経験がある人」のみ)。

・娯楽を行わず、身体装飾をしない(古い生徒のみ)。

・ぜいたくな、あるいは高い寝台で眠らない(古い生徒のみ)。

・合宿中は、他の瞑想法や宗教的儀式(断食、香を焚く、マントラ、歌、踊り、楽器など)を行わない。

・他の生徒とコミュニケーション(会話、筆談、ボディランゲージなど全ての行為を含む)をとらない(=聖なる沈黙)。

・身体同士が接触してはいけない。

・ヨガや激しい運動をしてはいけない。

・信仰の対象物(数珠、パワーストーン、お守り、像など)を持ち込んではいけない。

・酒、麻薬、精神安定剤睡眠薬などを持ち込まない。

・タバコを吸ってはいけない。

・露出度の高い服を着てはいけない。

・合宿所の決められた敷地から外に出てはいけない。

・音楽を聴いたり、読書をしてはいけない。

・筆記用具を持ち込んではいけない。

・メモ、録音・録画などの記録をしてはいけない。

 

一言で言うなら、「他人の修行の邪魔になることは徹底して避け、まるで、一人で修行しているような気持ちで過ごすこと。」ということ。

 

 

 

オリエンテーション後は、記憶がたしかならば夕飯が出た気がする。

 

合宿初食事は「玄米焼きおにぎり」「カブの漬物」「味噌汁」だった。

  

玄米菜食が大好きな自分にとってはとてもとても美味しかった。

 

修行時の食事というと「極端な精進料理」という想像をしてしまうが、ヴィパッサナー瞑想に関しては意外とその辺はゆるい。

 

「なぜ玄米菜食なのか」という理由についても、「スタッフは調理の専門家ではなくボランティアが行っているので、宗教上理由やアレルギーや嗜好であれが食べられないこれが食べられないと理由をつけられても対応できないから、玄米菜食に落ち着いている。」という程度のもののようである。食事量制限もなく、余っていればおかわりもできる。

 

ただ、後日、講話で「満腹度は3/4まで」「食べた物そのものが自分自身となる」といった注意事項がなされるので、考えなしに食べていいというわけでもない。

(なお、合宿終了後の生徒同士の会話において「飯がうまかった」という話は結構なされた。娯楽が一切除かれる本合宿においては、食事が唯一の皆の楽しみになっていたようである。)

 

 

 

その後は、就寝前に1時間程のグループ瞑想。

 

グループ瞑想とは、ダンマホール(=瞑想場)にみんなで集まって、一斉に瞑想を行うこと。

 

ダンマホールは、元体育館だった部屋を使用していた。

 

全ての窓に青い布が被せられ、外からの光の大部分は遮られている。

 

おまけに、「異様に寒い」(ポータブルストーブは4台焚いてあったにも関わらず。)。もう5月も半ばだというのに、体感上の寒さは3月下旬。とても上着や毛布をかぶらなければ耐えられない。

 

ヴィパッサナー瞑想自体が特定の宗教に属するものではないので、お清めだとかお祓いの類はやっていないと思われるが、なんとなくこのダンマホールが「特別な場所感がある」というのは肌で感じた(本当にただの体育館なのだけれど。不思議ね。)。

 

 

そして、先生現る。

 

びっくりするほど、ふつうのおじさん。

 

ふつうのおじさん。

 

ふつうのおじさん。

 

最後にもう一度、

 

ふつうのおじさん。

 

瞑想の先生というくらいだから、いかにも「世捨て人」的な「仙人」的な「日本人離れ」的な人だと想像していたのだが、あまりにもふつうのおじさんだった(しかしながら、瞑想歴30ウン年だそうである。)。

 

そして、

 

「瞑想を始めます。『ゴエンカ師(※)のCD』を使って行われます。」

ゴエンカ師・・・失われつつあった古代インドのヴィパッサナー瞑想法をミャンマーで学びインドに逆輸入し世界に広めた偉い人。

 

 

・・・。

 

  

CDかよ!

 

先生が直接言霊のせて喋るんじゃないのかよ!

と心の中でツッコミ大魔王が魔貫光殺砲を放った。

 

 

そして、ゴエンカ師の声のファーストインプレッション。

怪しい。

怪しすぎる。

 

来ては行けないところに来てしまったのではないだろうか。

 

合宿が終わったら「ゴエンカ師、万歳!」とかいって、明後日の方向を見ながらヨダレを垂らしているのではないだろうか。

 

を売りつけられるのではないだろうか。

 

「合宿費用は要りませんので、代わりに自由意思で寄付してください。ただし、『一口100万円』から!」とか言われるのではないだろうか。

 

悪い想像をし、変な汗が出る。

 

ゴエンカ師は、ゴータマ・ブッダが残したらしいありがたい言葉(パーリ語という古代インドの言葉らしい。)を詠唱していくのだが、これがまた聞いたことないリズムとイントネーション。仏教のお経ともまた違う怪しさ。

 

 

ふげぇぇ  ←この擬音でこの時点での僕の気持ちをお察しください。

 

 

しかし、それ以外には特段怪しい儀式はない。というか、無さすぎて「これ本当に大丈夫か」と疑いたくなるほど。

 

先生は特段派手な服装してるわけでもないし、お鈴を鳴らしたり、線香焚いたり、謎の棒を振り回したり、手でお祓いするわけでもないし、あぐらの組み方も教えてもらえないし、変な手の形や姿勢を教えられるわけでもないし。

 

起きていることは、ただCDから流れるゴエンカ師と日本語通訳のお姉さんの話に従うだけ。

 

むむむ・・・シンプル過ぎるぞ。いったいこれのどこが世界中に一大ムーブメントを起こしつつある強力な瞑想法だというのだ・・・。

 

と思っていたら、瞑想法の指導が始まる。

 

その指導内容については、私の心では↓↓このような↓↓↓やりとりが行われた。

 

 

 

ゴエンカ師『それじゃ瞑想法さずけるね。』

 

ワイパー「待ってました。」

 

ゴ『まず目を瞑りなさい。』

 

ワ「はいつむりました。」

 

ゴ『じゃあ鼻に意識をやって。』

 

ワ「はい意識しました。」

 

ゴ『鼻、感じれる?』

 

ワ「はい、感じます。」

 

ゴ『息、そこから出てるよね。』

 

ワ「出てますね。」

 

ゴ『それ、観てて。』

 

ワ「えっ。」

 

ゴ『1時間。』

 

ワ「1時間。」

 

ゴ『これだけ。』

 

ワ「えっ、これだけ。」

 

ゴ『そだよ。』

 

ワ「えっ。」

 

ゴ『じゃあの。』

 

ワ「  」

 

 

 

 

 

ま じ か

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

ワイパー