無限探求打楽器奏者『ワイパー・イトウ』ブログ

北海道赤井川村在住、打楽器奏者でコーチでタロット占い師で人生研究家の「ワイパー・イトウ」のブログ。

「支配」が平和を生む

僕は「支配」という言葉によい印象を持っていなくて、たぶん多くの人達も「支配はアカン。自由サイコー。解放ー、カイホー。」と思っている気がする。

 

でも、今日、実は支配こそが平和を生み出す方法なのではないかと思わせることがあったのである。

 

僕とたまちゃんは、しばしば「女性の”(男性に)支配されたい願望”」の存在について議論を交わす。

今日もそんな議論を長々としていた。

世の中の女性達は自由になりたい、男性に支配されるなんてまっぴらだ、と考えていると思う。でも、その一方で心の深い所では確かに「支配されたい願望」が存在するようなのである。

 

 

これはいったいどういうことなのだろう?とずっと考えていた。

 

 

その答えかもしれないことを今日思いついたので、忘れないうちに書き残しておくことにする。

 

 

 

それは、支配の三つ巴サイクル。

 

子宮 は 女 を支配し、

女 は 男 を支配し、

男 は 子宮 を支配する。

 

 

 

支配という言葉の意味合いがとても難しいのだけれど、

コントロールする、法則を適用する、具体化する、物質化する、道筋を立てる、まとめる、集約する、境界線を引く、分離する、

といった感じだろうか。一般に男性的能力と言われているものに合致する。

 

まぁ、「・・・子宮→女→男→子宮→女→男→子宮・・・」という「支配のサイクル」こそが、カオスエネルギーを現実的・物質的なコスモスエネルギーに変換して、人生の愉快さを最大限に引き出すための方法なのではないかと思ったのだ。

 

支配がなければ、カオスはカオスのまま。人間が体験できるレベルに持ち上げることはできない。

  

 

子宮・・・カオス、全ての始まり、創造点、あの世とこの世の接点、0という存在、叡智、真実、無限エネルギー

 

・・・カオスを表現する者、子宮の語り手、0の持ち主、シャーマン、子宮のエネルギーを直に感じることができる存在

 

・・・コスモス、カオスからコスモスを創造するもの、1の持ち主、物質化能力、子宮のエネルギーを物質化できる存在

  

 

 

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<支配① 女→男>

女は、肉体的・性的・生命力的な美しさ、母性的な包容力を使って、男を支配する。

カオスからコスモスを生み出す存在・・・男・・・の力を得るために、男に関わる。そして、女が子宮から受け取ったカオスを、男に具現化してもらおうとする。

女はカオスを表現する者である故に、子宮のカオスを現実世界で具現化させることは困難だから男の力を借りるのである。

女は、高い具現化能力を持つ男性を信頼することにより、子宮のカオスを伸び伸びと表現できるようになる。

 

■取り組む課題

女の自身の魅力に対する自信。

性的なことに対する嫌悪感。

男の存在に対する恐れ。男性不振。(特に物理的暴力に関すること)

カオスを口にすることへの恐怖、不信感。

 

<支配② 男→子宮>

男は、子宮を支配する。

カオスからコスモス・・・具体化、物質化・・・を誕生させる。

女の口を通して発せられた子宮からののメッセージを翻訳し、具現化する。

 

■取り組む課題

カオス、理論整然としない存在に対する恐れ。

圧倒的カオスに飲み込まれてしまうことへの恐れ。

女性不信。女からの評価。

肉体的、頭脳的、経済的な自信のなさ。

死の恐怖。

 

 

<支配③ 子宮→女>

子宮は、女を支配する。

子宮は、それ自体では存在することができず、女という語り部を得てようやくこの世で表現活動をすることができる。

子宮は、ホルモンの力などにより女の行動を統率し、また、女の行動をエンパワーメントする。

 

■取り組む課題

女は、子宮から発せられるカオスを信じ、受け取る。

女は、子宮から受け取ったカオスを、カオスのまま男に伝える。

男は、子宮が女を通じて発してきたカオスを、信じ、受け取り、翻訳し、具現化する。

女は、子宮のご機嫌をとる。子宮から発せられたホルモンによる生理的信号に逆らわない。月経のサイクルに乗った行動をとる。

 

 

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<支配① 男→女>

男は、女の肉体的・性的魅力を支配し、むさぼる。

エネルギーの枯渇感に堪えられず、女からエネルギーを奪おうとする。セックス依存症、風俗依存症になったり、DVしたりする。

暴力的、経済的、性的な戦略によりエネルギーを搾取し女の行動を抑制し、拘束する。

 

<支配② 女→子宮>

女は、子宮を支配しようとする。具体的には、子宮からのカオスなメッセージの受け取りを拒否したり、ホルモン信号による生理的欲求を無視したり、子宮からのエネルギーを断絶したりする。

エネルギーの枯渇感に堪えられず、男からエネルギーを奪おうとする。セックス依存症恋愛依存症ヤンデレメンヘラになったりする。

男女間でエネルギーの奪い合いが起き、やがてエネルギーは尽き、破局する。

婦人科系疾患になったりする。

 

<支配③ 子宮→男>

子宮が女に対して出した要求が通らなかった場合、子宮が男を支配し、男が子宮のもつ不満を代弁して女にぶつけるようになる。

男は、なんか知らんがいらいらする。あるいは、いらいらさせるような出来事が周り(職場とか)に起こる。

女は、とにかく自分を下げて事の本質を見ないようにする。自分さえ我慢すれば、と思う。

 

 

 

ワイパー

地球になって

地球になって

ただ 愛され 愛したい

私がありのままに輝く姿を見て

私に興味をもち 愛そうとしてくれた者達を

愛し 

私との体験を プレゼントしたい

願わくば そのプレゼントが

あなた自身の素晴らしさを思い出させますように

 

 

地球になって

全ての悲しみを受け止めたい

私の愛した者達が

どんな悲しみに打ちひしがれようと

私は ずっと ともにあり続けて

その悲しみが昇華されるまで

自らの足で立ち上がるまで

その者達とともにいたい

 

 

地球になって

全ての命を受け止めたい

死 老い 腐乱 朽ち果てた肉体を

ただ 受け入れ

あなたが精いっぱい生きたことを称え

あなたの価値は死んでもなに変わらないことを教え

再び 環の中に繋ぎたい

 

 

地球になって

全ての者の お母さんになりたい

あなたが宿り

あなたが産まれ

あなたが生き

あなたが亡くなり

あなたが転生する

その全てを 私はずっと愛している

あなたは いつでも 愛と共にある

それを伝えたい 

 

 

地球になって

 

 

 

 

ワイパー 

少しずつ歩く。歩いたら褒める。歩けなかったら、思っただけでも褒める。

他人からの命令や、社会的義務・常識からではなく、

 

「自分の肚の声に従って行動する」ということが、だんだんと少しずつ社会に浸透していっている昨今。

 

  

「やりたいことは、やる。」

「やりたくないことは、やらない。」

 

 

それが基本原則。

 

 

とはいえ、

 

「やりたいこと」をやろうとすると、「やりたくないこと」もついて回る。

 

「やりたくないこと=布団から出ること」だった日には、そりゃーとてもたいへん。

やりたいことやりたいのに、布団から出れないよー。

 

「やりたいこと」についてくる「やりたくないこと」。これがたいへん。

 

 

 

僕の信念として、「1日で、できるだけ早く、完璧に仕上げたい」というのがある。

 

こんなプロフェッショナルっぽい信念どおりにうごけるならかっこいいのかもしれないが、実際にはこの信念は「ただのストレスを作る素」だ。

 

「1日で」→1日で仕上げなきゃ!後ろがつかえている!

「早く」→早くやらなきゃ!ああっ、また無駄な作業してしまった!

「完璧に」→完璧じゃないと嫌だ!うぉー1ピクセルずれたー!

 

まあ、こんな感じでめっちゃ脳内が大忙し。

別に誰かが見張っているわけでもないのに。

 

絶妙なことに、こういう信念抱えてると、

「1日で、できるだけ早く、完璧に仕上げたい」

「でも、できる気しない」

「やらない」

ってなりがちなのな。

 

この信念を突破するためには、

自分を事細かに褒めてあげよう。許してあげよう。

「1日で、できるだけ早く、完璧に仕上げないと褒めてもらえない」と勘違いしている自分を成仏させてあげよう。

 

 

 

『あー、動画編集したいなー。』

 

「1日で」→いいよー。何日もかけていいよー。

「早く」→いいよー。ゆっくりでいいよー。

「完璧に」→いいよー。ほどほどでいいよー。

「布団から出た」→よくやったね!頑張った!

「PC点けた」→よくやったね!一歩進んだね!

「動画ファイルの名前付けた」→よく手をつけたね!

「あとは明日にしよう」→おつかれさん!お休み!

「また布団から起きてPCつけた」→続いてるね!素晴らしい!

「ファイルを編集ソフトで読み込んだ」→おー、すげー!

「あとは明日にしよう」→進んだねー!お休み!

「また布団(略)」→おはよう!今日も起きれたね!

「動画トリミングした」→やったじゃん!

「寝」→おやすみ!

「おはよう」→おはよう!待ってたよ!

「動画字幕つけた」→もう終わったようなもんじゃん!頑張ったね!

 

 

  

・・・

 

 

 

自分を褒めよう。

 

「こんなことぐらいで」と思うことこそ、褒めよう。

 

「こんなことぐらいで」と思うところが、褒められたかった部分だ。

 

赤ん坊を褒めるように褒めよう。

立ったらいちいち大騒ぎするように。

言葉を喋ればあわててスマホの録音ボタンを押すように。

 

どんなに大人になっても、おっさんになっても、じいさんになっても、

人間は変わらない。

赤ん坊のときと、なにひとつ変わってない。

自分は赤ん坊だと認めて。

大人であることを忘れて、

一歩でも進んだら、

一歩も進めなかったとしても、

とにかく自分を褒めてあげよう。

 

そしたら、いつのまにか届いてる。

 

  

 

 

ワイパー

 

絶対ダメ!は究極の愛。だから、絶対ダメと言おう。

この動画をを見て、昔話をひとつ思い出しました。

 

 

1kando.com

 
 
 
うちの母親の弟は、小学校高学年くらいのときに溺死したのです。
 
ため池にあったイカダの上で遊んでいたら、それが転覆してしまったのだそうです。
 
うちの母親は長女。

愛する弟の死は、子どもが亡くなるような辛さだったでしょう。

 

もし私が注意していれば、

もし私が気づいていれば、

もし私が禁止していれば、

弟は。。。

 

そんな辛さを、彼女は10代のうちに体験してしまいました。
 
 

  
僕は海なし町の田舎の農村で生まれ育ちました。
 
実は、農村というのは溺死リスクがめっちゃ高いのです。特に水田農業地帯は。
 
大きな灌漑(かんがい:水田に水を入れるための水路)があって、春から夏にかけて、すさまじい量の水がダムから流れてきます。ここに落ちたら、大人でも助かりません。
  
小さな灌漑にも激流が流れます。

ちょうど子供の身体がぴったり納まるサイズです。ここに子どもが入って転びでもしたら、まず助からないでしょう。
  
 

 
そんなわけで、「とにかく水路は禁止」と言われて育ちました。
 
でも、「男の子が水遊びしない」なんて、あり得ないじゃないですか。

だから、灌漑に水が流れる季節は大好きで、よく見に行きました。

そこに野球ボールを流して追いかけてみたり、板を使って水をせき止めてみたり。
  
ちなみに、その灌漑の水をダイレクトに飲んだりもしましたw

これが冷たくてうまいんです。不思議と勢いよく流れている水っておいしく感じるんですよね。農薬やら虫やら糞便やらいっぱい入っていたと思いますが、たぶんそのおかげで胃腸が強くなって、3ヶ月インド旅行でストリートフードばかり食べても一回も食中毒にならなかったのだと思いますwww
 
 
 
あなたが、「絶対ダメ」と言ってくれたおかげで、
 
あなたが、真剣に怒ってくれたおかげで、
 
あなたが、確固たる意志で禁止してくれたおかげで、
 
 
僕はこんな年齢まで生き延びて、人生を楽しむことができました。
 
 
 
ありがとう。
 
ほんとにほんとにありがとう。
 
 
 
そして、大人の身体を得て、自分の周りに灌漑が無くなり、自分で水流の危険性を感じ取れるようになった今、
 
あなたが言ってくれた「絶対ダメ」は必要なくなりました。
 
 
この「絶対ダメ」を外す作業は、母親の仕事ではありません。
 
僕の仕事です。
 

 
『あなたが「絶対ダメ」とわたしに言ったから、私の人生は未だに苦しい』
 
は筋ではありません。

 

  
『「絶対ダメ」で守ってくれてありがとう。でも、重いので外します。』
 
が筋です。 
 

 

 
それが、自立。
 
 
自分の命の責任を、自分が全て引き受ける。
 
 
もう、母親を責任者にする必要はない。
 
 
 

 
 
かなり多くの人が、母親に恨みを持ったまま死んでいきます。
 
それは、母親が「絶対ダメ」という鎧を着せて、それを脱がなかったからです。
 
母親は「絶対ダメ」という責任があります。子を守るために。子の幸せのために。
 
子は「絶対ダメ」を脱ぐ責任があります。自分の幸せのために。未来の平和のために。
 
 
 
 
「絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!絶対ダメ!」
 
 
 
それ、 全部    です。
 
 
 
もう観念してください。
 
もうあきらめてください。
 
どんなにそう思えなくとも、

どんなに抵抗しようとも、

どんだけ理屈をこねたとしても、
 
 
 
母親は、生まれた時から 愛しかくれなかった。
 
 

残念ながら、そうなのよ。
  
 
 
 

 
ワイパー

 

あなたに愛があると宣言するのなら、あなたは金持ちになる義務がある。

あえてちょっとトゲトゲしく。
 
 
出所は忘れてしまったのだけれど、とあるブログで、
 
「年収2,000万円未満の人は、税金のお世話になっている立場の人。年収2,000万円以上の人は、税金でお世話する立場の人。だから、年収2,000円を目指そう。」
 
という記事(超うろ覚え)を呼んだ。
 
計算方法だとか、どこまでを税金サービスと呼ぶかによって、この境目の金額はかなり変わってくるが、試しにググッてみたところ、大体1,000万円~4,000万円ぐらいが境目となるという意見が多いようだ。
 
いずれにしても、一般的なサラリーマンよりはかなり高い。サラリーマンでも相当よい企業の上級職に就かないと辿り着かない水準だ。
 
 
この手の話を考えると、なんの役にも立たない「生活保護叩き」を思い出す。いわゆる「税金泥棒発言」なやつ。
 
でも、上記の金額水準を考えると、生活保護者を叩いている人の99.99%くらいは生活保護者と同じ「税金泥棒」の立場となんも変わんない。
 
僕の勝手なイメージだが、年収1,000万円クラスを稼げる人って、生活保護叩きなんでする暇ない(または興味がない)イメージだ。
 
そう想像すると、貧乏人が貧乏人を叩いて憂さ晴らししている。鼻くそが耳くそを殴るような状態だと思う。
 
 
話がずれたが、この世には「私、人生が愛に溢れてるから、お金はいらないの」という感じのことをいう人もいる。
 
僕は、これには違和感感じてしまう。
 
愛があるなら、お金あげようよ。お金の正体はエネルギーなんだから、エネルギーを提供できる立場にまわろうよ。あなたに愛があるというのなら。
 
寄付や募金もいいけど、手っ取り早くお金を提供できる方法は金持ちになることだよ。
 
あなたが愛しているなら、貧乏でいる理由はないよ。
 
 
(一方で、ただ受け取るだけの愛を探求する人や、お金じゃないもので提供することを探求する人も世の中には必要だと思う。けど、全員がそれをやる必要はない。というか全員がそれだとたぶん世の中やばい。)
 
 
どうやって愛を表現したいか?
その表現で満足か?
お金から逃げていないか?
お金が愛から遠いものと勘違いしていないか?
 
 
お金だって愛だよ。選択肢に入れてあげて。
 
 
 
と自戒を込めての文章である。
 
目指せ金持ち。
 
 
 
ワイパー
 

地球に手〇ンした日。

2018.8.29より北海道札幌市民から同・赤井川村になったことで、たまちゃんのお宅にかなりの日をお邪魔している。

 

 

さて、

 

 

たまちゃん宅には、家庭菜園というには少し大きめサイズの畑がある。 

たまちゃん家は3人住まいであるが、3人分にしては多い作付面積だ。

なので、毎年この時期は「収穫戦争」と呼ばれる幸せだけれど苦しい戦争が起きる。

「収穫が追い付かない」

「消費が追い付かない」

「保存食調理に手が回らない」

の三重苦である。

 

で、今年は僕が赤井川村にいるので、手が空いた時間は収穫作業をすることにしている。

 

 

今日殺ったのはジャガイモだ。

 

ジャガイモ堀り機なんて良いものがあるはずもなく、シャベルでひたすら掘る。

雑に大きいイモだけを獲っていけばそんなに時間もかからないのだが、今年は不作なので丁寧にクズイモも獲っていかなければ収量が見込めない。なので、半列(5mくらい?)やるだけで1時間半もかかった。

 

 

 

で、本題、

 

『ジャガイモ掘りの最中に気づいたこと。』

 

 

 

畝(うね)に側面に沿って深くシャベルを突き立てる。そして、シャベルをテコの原理で少し後ろに倒して、そのまま細かい振動を与えてあげると土が崩壊してイモが勝手に表面に浮き上がってくる。

 

 

 

そのとき思った。

 

 

 

「これ、手〇ンじゃん。」

 

 

 

大地は女性性シャベルは男性性

 

シャベルが大地に入り込み、細かい振動を与えると、大地は自ずと崩壊し土の塊から大地全体に還る。そして、エクスタシーの証・イモが登場する。

 

 

ああなんということだ!

今日僕は地球に手マ〇してしまったのだ!

何と言う歓喜、何と言う歓喜!ギアノンド、ギアノンド!

(↑最近はこれを流行らせようとしている。)

 

 

 

「地球に〇マン」って笑い話のように書いているけれど、

大真面目な話よ。

本当にそう思ったの。

 

 

 

実は、今日の収穫に向かう直前に強いインスピレーションが湧いてきてたのだ。

 

 

「豊作である畑を掘るから豊作なのではなく、『自分が掘るところが豊作になるのだ』と信じているから豊作になるのではないか?」

 

 

僕らの宇宙は、絶えず崩壊と構築が行われている。それはあたかもパラパラ漫画のようなもので、全く関係のない2枚以上の絵が間が認識できないほどのスピードによって入れ替わっていくことによって、僕らはそこに連続性・時間を感じる。

 

その理屈でいうと、「あ~今年は全然育たなかった。不作だな~。」と思ったとしても、本当に不作だったかどうかは掘ってみるまでわからない。いや、結果は掘る者にかかっている。

 

 

そこでさらに、次のようなインピレーションが湧いてきた。

 

 

女性性は「金脈」など富の象徴であり、それを育むことはできる。

しかし、どんなにそれを大きく育むことができたとしても、それを現実化させるのは男性性の仕事なのである。

金脈はどんなに豊かでも放っておけば土に埋もれたまま。なので掘り起こしてあげる必要がある。

 

 

女性性の仕事は、

「自分の金脈を育むこと。守ること。自信を持つこと。誇りに思うこと。」

 

 

男性性の仕事は、

「その金脈は豊作なのだと信じること。美しさ、ありがたみを感じること。自分が掘ったところが豊作になるのだということを信じること。」

 

 

 

 

掘られる喜び。掘る喜び。

 

 

掘られる悦び。掘る悦び。

 

 

掘られる歓び。掘る歓び。

 

 

 

 

今も流行っているのかわからないけれど、一昔前、「女性のオ〇ニーを広めよう!」みたいな運動が一部で活発化した記憶がある。

女性のオナ〇ーとは、女性が自身の身体を使った、自身の男性性女性性による疑似収穫祭なのだね。自身の女性器がどれだけ豊かで美しくてありがたくて感動的なものかを実際に手を使って味わってみよう、そして耕してみよう、というね。

 

そう考えると、男性の〇ナニーって建設的でないのかもしれない。男性は金脈を元から持っていないからね。まあ、いうなれば「シャベルを研ぐ作業」みたいなもんか。研ぎすぎるとなくなっちゃうよ、みたいな。

 

 

 

農業というのは、地球相手の壮大なセッ〇スであるなぁ。そして、宇宙法則が流れているところ。

 

物理学者さんは、

とりあえずイモ掘ったらいい

と思うよ。

 

 

 

 

 

ワイパー

 

世界の全員が金持ちになることは可能か

幸せな金持ち。
不幸な金持ち。
幸せな貧乏。
不幸な貧乏。
 
 
 
先日、たまちゃんとお喋りしたときに、「世界の全員が金持ち(いわゆる億万長者)になることは可能か」ということが話題になった。
 
二人の結論は「否」
 
世界の全員が金持ちになることはできない。
 
もしそれが実現したら、金が出回りすぎて金の価値は下がり、物価は上がり、金はたんまりあるのに物が買えない「実質貧乏」に全員がなるだろう。
 

 
では、いわゆる「経済格差」はなくならないのか?
 
僕は世界に「経済格差」が存在することに嘆きながら生きていかねばならないのか?
  
答えは、「否」

 

「経済格差」を嘆く必要はない。 
なぜなら、僕の持つ「嘆き」の感情の原因は金の量が問題ではないからだ。
 
 
 
幸せな金持ち。
不幸な金持ち。
幸せな貧乏。
不幸な貧乏。
 
 
 
金の量と幸せは必ずしも一致しない。
 
しかしながら、金の量と幸せの関係は深い。
 
その関係を知りたければ、「金の量」を「(エネルギーの)スピード」と言い換えればわかりやすいかもしれない(大金持ちということは、エネルギーの出入りのスピードの早い人ということね。)。
 
そして、僕らが地上で為すべきこと、つまり「天命」との関係が深い。

 

 
この世の中には、自分の「天命」を達成するために「エネルギーの出入り」を早くする必要がある人がいる。
 
たとえば、国を運営するとか、油田掘るとか、世界規模のサービスを提供するとか、大量生産とか。
 
その一方、自分の「天命」にそれほど「エネルギーの出入り」を早くしなくてよい人もいる。
 
たとえば、恋人とゆったり過ごすとか、ひたすら釣りをするとか、毎日散歩するとか、遊び呆けるとか。
 
僕は、幸せを感じるかどうかというのは、「天命」に近いところに居るかどうかにかかっていると思っている。
 

  
自分の天命によって、

「エネルギーの出入り」の必要量が違うのだ。
 

 
天命を全うするにあたって、1億円必要な人もいれば、1兆円必要な人もいるし、100万円ですむ人もいるだろう。
 
そこには、経済格差はあれど、幸せの格差は生まれない。そして、全員が天命を全うしている状態は、全員が適材適所、全くもって完璧な状態、お互いに存在価値を認めたたえ合っている状態。金持ちが貧乏人をけなしたり、貧乏人が金持ちをねたんだりといった感情が起こりえない。
 
 
 
いったい自分はどっち側の人間なんだろうか?

自分の天命は大金が必要なのか不必要なのか?
 

  
それは、両方経験するのが手っ取り早い。
 
貧乏を経験しよう。
 
そして、金持ちを経験しよう。
 
順番はどちらでもよい、そして、しっくりくるものを選ぼう。
 

 
ありがちなのは、金持ちになったことがないのに「金が無くても、僕は幸せだから」というやつ
 

 
そのセリフは本心だろうか?
 

 
心の底で「本当は金が欲しい」という気持ちを封じていないだろうか?

 

本当はやりたいことのために金が必要なのに諦めていないだろうか?

 

今、現状の生活がわくわくしているだろうか?

 

今日、死んでも後悔はないだろうか?
 

 
こういった問いを自分に投げかけて、少しでも心が揺らぐひとは、自分にウソつきまくっている可能性が高い。そして、一度金持ちを体験するチャレンジが必要と思う。もしかしたら「天命」にしっくりくる額が間違っているかもしれないから。
 

 

 
・・・。
 

 

 
そういえば、

 

「金持ちだけど、僕は幸せだから。」

 

っていうセリフを吐く人は未だ会ったことないな・・・。
 
 
 

 

 

 
やっぱり金はあったほうがイイネwww
 
 
 
幸せな金持ち。
不幸な金持ち。
幸せな貧乏。
不幸な貧乏。
 
 
 
金について、もっと向き合おう。
 
金は鏡。真実の自分を映すよ。 
 
 
 
 
 
 

 

 
ワイパー