無限探求打楽器奏者『ワイパー・イトウ』ブログ

北海道札幌市在住、打楽器奏者「ワイパー・イトウ」のブログ。 ●●●レッスン生募集中●●● 詳細はこちら → http://wiper-ito.hatenablog.com/entry/2017/06/28/005437  Facebook → https://www.facebook.com/akira.ito.3154  YouTube "Wiper-Ito Channel" → https://www.youtube.com/channel/UC58hZcSnJJho6R6EYTIjvBQ?view_

「なにが正しい・正しくない」って、ホントどうでもいい。

日に日にこの気持ちは大きくなってきており、腑に落ち始めているのだが、「どちらが正しい・正しくない」というのは本当にどうでもいいことなのだと思っている。

 

例えば、

 

単数恋愛VS複数恋愛

婚姻制度擁護VS婚姻制度改革

肉食VS草食

戦争擁護VS戦争反対

依存原発VS脱原発

 

僕の中では「正しい」とは、なにかしらの議論(それは外界で起きたかもしれないし内界で起きたかもしれない)が行われ、一方のサイドが議論で勝利した結果と定義している。

 

で、揺るがない何かは「真」と呼ぶことにする。

 

で、「正しい」は「真」なのかというとそうでもない。というのは、勝利できた理由は、その議論を交わした際に、勝利側の方が討論技法に優れていたとか、もっともらしい根拠データを用意できたとか、周囲(世論)がなんとなく既に勝利側に傾いていたからとか、そんなことだと思う。

 

「正しい」は、どっちを選んでもよいような話に一定の方向性を与えるものじゃないかと思う。いつもあやふやなものだ。

 

 

 

では、どこに真はあるのか???

 

 

 

それは、自分の中にある。

 

 

 

自分が選択したもの、それが真

 

 

 

そして恐ろしいことに、僕らは、常に真を選んでいる

  

 

 

そして、その選んだ真が100%の確率でその人の望む人生を見せてくれる

 

  

 

こんな話もここでできたらいいなぁ。

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【たまちゃんとワイパーの インド報告会】

 

🔘2018.4.21(土)13:30-15:30

(終了時間は少し延びる可能性があります)

🔘参加費 1、000円

(加えて、任意でワイパーの来年のタブラ修行資金ドネーションをいただけると喜びます!)

🔘会場 : 北海道札幌市西区琴似2条3丁目1−10 共栄ビル フリースペース&カフェ アミカ

www.amicaspace.com


地下鉄琴似駅 徒歩5分、JR琴似駅 徒歩7分

周囲にコインパーキング多数

※ご都合つかない方のために、当日zoomでオンライン配信する予定です。

【内容】

<第一部>

・「我いかにしてインドに導かれしか」byたまちゃん 

  スライド上映とトーク

ヴェーダチャンティング by たまちゃんとワイパー

タゴールソング by たまちゃんとワイパー

  ワイパーによるタブラとイテル氏によるギター伴奏付き

マントラ「ナマステサテテ」詠唱

  ワイパーによるタブラとイテル氏によるギター伴奏付き

 

<第二部>

トーク「奇跡は起こる。願いは叶う。都合のいい人生の呼び寄せ方。」by ワイパーイトウ

・ワイパーによるタブラ修行成果発表会


<質疑応答など>

 

 

 

 

ワイパー

 

【インドから帰国】ちゃんと、生きてますから。

2018.3.25 無事、インドより帰国しましたー。

 

 

無事なんですよ、無事

  

 

 

無事

  

 

ありえんでしょ、

  

 

 せっかくインド行ったのに無事。

 

 

ある意味、がっかり??? 

 

 

 

というわけで、このインド旅の実情をぜひ訴えたくw

インド報告会をすることになりました!

youtu.be

[日時]
2018.4.21(土) 13:30 - 15:30
 
[場所]
フリースペース&カフェ アミカ
〒063-0812 北海道札幌市西区琴似2条3丁目1-10

 

[参加費]
1,000円+来年のワイパーのタブラ修行・募金
 

※参加される方はFacebookやこのブログでイトウに連絡ください。また、ご都合つかない方のために、当日zoomでオンライン配信する予定です。zoom参加を希望の方はイトウに連絡の際お伝えください。

 

[Facebookイベントページ]

www.facebook.com

 

 

 

インドに行くと、

  

 

人は変わらざるを得ない。

 

 

いろいろと。

 

 

Welcome to India !!!!!!

 

 

  

 

 

ワイパー

 

今世の目的がわかった

昨日、満月は皆既日食の日、インド・ブッタパルティのさくらカフェにお邪魔したところチャネラーさん~宇宙語を地球語に翻訳してくれる人~が居られた。こういう方が普通に顕れるこの町はなんなのか。
 
せっかくなのでお言葉をいただきました。
 
ぜんぜん質問が思い浮かばなくて、「金は手にはいりますかねー」「仕事てきるようになりますかねー」みたいな俗っぽいことを聞いてしまった気がするが、返ってきた答えは、
 
 
 
「結果については意味が無い。」
 
 
 
上記については要するに「あなた次第」ということなんだが、重要なのは続き。
 
どうやら僕は過去生で「理由はわからないけれどたくさんの困難にあって、なにかを諦めた」らしい。
 
で、どうやら「諦める人生」と「諦めない人生」を両方体験したかったらしい。
 
だから今世では「諦めない人生」を選びに来たそうだ。
 
いい換えれば、
 
 
「諦めない」という体験そのものを味わいにきた、
 
 
ということ。
 
 
だから、「諦めない」という体験をするためには、「諦めさせるためのイベント」が必要。そして、それを乗り越えること自体が目的。
 
そして、結果(未来)ばかりにフォーカスして、今ここに起きているイベントにフォーカスするのは、エネルギーが散っているということでイベントを乗り越えることが困難になるよ。そしてまた同じ人生を繰り返すよ。もったいないことだよ、本当は乗り越えられるように設定されているのに。とのこと。
 
 
 
僕のようにサイキックな力をなにも持たない者にとっては根拠なんて何もないはずの言葉なのに、その言葉は僕の心に残り続けて、真実が感じられた。
 
たまらず、涙が出た。
 
 
 
僕の表現したかったことは、
 
「諦めないこと」
 
だったのだ。
 
諦めないことの美しさ、尊さをみんなに広めたかったのだ。
 
このことが出来るのなら方法はなんでもよい。もし僕がそれを音楽で求めるなら音楽で。
 
 
 
 
 
ワイパー

生まれつき罪悪体質

インドに来ている。
 
 
来て早2週間経つ。
 
来た当初はここは素晴らしいところだと思い、今もその思いは変わらないが、この段階に来て死にたい病が炸裂している。数日前にひいた風邪が引き金になって発生したのだと思うのだが、とにかく無力感、無常感、劣等感、罪悪感、日本語に顕せばそういうことかなというような感覚に包まれている。
 
とにかく、動けない、喋れない、聴けない、眠い。1日15時間寝てもまだ眠い。考えたくない。暗室に閉じ込めたもらいたい。
 
 
 
数日前にインド占星術を受けた。
 
どうやら僕は前世では僧侶殺しをしたらしい。占星術の理屈はさっぱりわからないが、妙に腑に落ちた。当たっているのかもしれない。
 
僕の生まれてからの行動は総て罪悪感ベースで行われていることに気づく。
 
基本的に苦行が好き。なぜなら自分が苦しいときだけが許されている気がするから。僕が音楽を積極的に練習するのも、音楽を音を楽しむことだと捕らえていないのも、罪悪感ベースの行動だからと考えるととても合点がいく。上達することだけが罪を償った証明のように感じている。また、その証明は客観的に判るものでなければいけない。だから、判ってもらえないと犯罪を犯したような気分になる。楽器が上達しないことを恥だと感じさせる根本はそこなのかもしれない。僕の音楽を理解されなかったことは許しを得られなかった、断罪されたという感覚。それを僕は孤独感と呼んでいるのだと思う。

この旅は僕が生まれ持って抱えてきた罪悪感を昇華させるものになるだろう。もし叶わなくともそこに大きく関係してくるだろう。

罪悪感というのは、今までの行動パターンと相反する行動さえ起こせば無くなる物だと思っていた。僕の場合なら、仕事を辞めてみたり、インドに行ったり、新しい形のパートナーシップを組んでみたり。だが実際には罪悪感は行動しただけでは無くならない。これらは罪悪感を思い起こさせるためのトリガーに過ぎない。重要なのは、これらの行動がきっかけとなって顕れた罪悪感に対してどう向き合うか。
これは時間が解決してくれるものなのだろうか。今はそれ以外に方法が思いつかない。

感情と僕らが呼んでいるものは、文面上の理屈で考えてもわからない。多分に感情というものは自分の身体に起きている何かしらの感覚について言語をもって表しただけのものなのだろう。それ故に、罪悪感なんて気にしなければいいという言葉だけではクリアできないし、現に僕はクリアできていない。ただ、この絶望的かつほぼ無限に起こる身体感覚に向きあうのみ。それだけが道。
 
喘息持ちだと気づいたのがたった3年ほど前。そしてこの喘息はなにを教えてくれるのだろう。
 
 
 
ワイパー
 

【なんだ、奇跡しか無かった。】

うーむ、約2ヶ月弱ブログ放置が続いたが、久々にFacebookに長文投稿したので、たまちゃんのススメもあり少し文言を修正しつつ再掲投稿。

 

 

 

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14歳の正月に Zildjian Day in London(※1) のビデオ(※2)を買った。とにかく打楽器の情報に飢えていたので、お年玉で打楽器関連のビデオを買うのが恒例だった。

 

※1 Zildjian Day ・・・世界的シンバルメーカー Zildjian社 が主催するドラマーによるライブ。1993年に開催されたロンドンの Zildjian Day では、Gregg Bissonette, Trilok Gurtu, Simon Phillips, Dennis Chambers の4人の人気ドラマーが出演した。

 

※2 当時はDVDなんてものはなくてVHS。よくビデオデッキに絡まって泣いたものだ。ナツカシイノオ。

 

 
僕の目当ては Simon Phillips だったのだが、結果的にはこのお方が一番の衝撃だった。
  
 

https://youtu.be/e7hCGbq2zu4
 
Trilok Gurtu

 
 
特に2:00頃から始まる、
 
「超光速の謎の呪文」と、

 
「誇張でもなんでもなく目にも止まらぬ早業」と、

 
「本当に2つの太鼓と指だけで奏でられているのか信じられない音色」にやられてしまった。
  
ビデオ内での談笑シーンと、月刊ドラムマガジンの情報から、「どうやらこれはタブラ・バヤ(※3)というインドの楽器彼はインド人らしい」ということを後で知った。
 

※3 インドの古典音楽で使われる大小2つの組み(小=タブラ 大=バヤ、バヤンまたはダヤン)から成る太鼓。基本的に床に置き、10指を駆使して素手で叩く。日本でタブラというと、基本的にタブラとバヤンのセットのことを指す。 

 
あまりにも衝撃的だったので、「こいつが!こいつがすごいんだよ!ほらほら!!」と多くの人にこのビデオを見せたが、多くの人は共演者の Dennis Chambers や Simon Phillips に興味を惹かれたようで共感してもらえなくて悲しかった。(もちろん Dennis や Simon は僕も大好きで、僕の世代なら知らないドラマーはいないくらい売れっ子だったし、僕もめっちゃたくさんそのプレイをコピーした!そして、Gregg Bissonetteの影の薄さ 。。。泣) 
  
そして、若くて音楽のことなどなにもわかっていない14歳の僕の胸には、
 

 

 
「いつかは、タブラ。」
 

 

 
という想いが刻まれた。
 
 
 
その後、もう正確なことは忘れてしまったが、20代も半ば、自分の給料で楽器が自由に買えるくらいになったとき、昔をふと思い出しわけもわからないままタブラと教則ビデオを購入した。
 
しかし、音が出ない、呆れるほどに。

 
そして、上達の兆しがない
 
当時、僕は道東の網走市に住んでおり、こんな田舎に(網走市民の皆様ゴメンナサイ)タブラの先生なんているわけがない。
 
1年くらい独学で粘ってみたが、Trilok の T の字にさえ追いつける気がしない。 
 
ついに、僕はタブラを手放してしまう。
 
 
 
でも、心の底では諦めていなかったのだ。「いつかは、タブラ。」 
 
 
 

 

 

 
そして、それから約10年後である去年、僕は転勤で札幌に来た。
 
 
 

 
死ぬほど忙しかった。起きてる時間+睡眠時間の一部を全て仕事に捧げた。
 
ドラムが叩けない。
 
スタジオに行く時間も体力もない。
  

命を取らずとも、僕を殺すにはこれで十分だった。 

 
ただただ虚しい通勤。精根尽き果てる毎日。死にたい死にたいと毎日布団の中で呟く日々。地下鉄の柵から顔を出してたら顔だけはねてくれるから死体処理にそんなに時間かからないかな、迷惑にならずに済むかな、でもやっぱ怖いなと思い留まる毎日。

 

 

  

そこで突然思い出したように始めたのが、タブラだった。
 
タブラなら家でもある程度叩ける(音量が小さいから)。常設しておけば、触れるはずだ。
 
しかしなんで挫折を経験するほどに難しいこの楽器をこのクソ忙しい中で再チャレンジすることを思いついたんだろう?
 
きっと、ここには意味があるはずに違いなかった。
 
 
 
 
予感は的中した。
 


僕がFacebookにタブラを学びたいと書いたところ、計ったようにイテルさんからタブラ奏者の黒田さんを紹介され(※4)、レッスンを受けることができた。そして、少しずつ少しずつ少しずつ、音が出せるように、そしてフレーズが叩けるようになってきた。 
 

※4 実は、裏でたまちゃんがイテルさんに黒田さんをイトウに紹介するように動いてくれていたんだそうな。

 
もう、このときはタブラだけが人生の支えだった。これが無かったら確実に死んでいた。
 
くそ忙しくて、練習時間なんてまともにとれない(毎日AM1:00に帰ってきて1時間くらい練習していた)のに、10年前と違い上達の道筋が見える。なんだこれ???
 
また、このころには仕事を辞すことを決めていた。仕事を辞すことを決めたのはタブラを始める前だったが、その面白さに取り付かれ、退職後は本格的に取り組むという生き方がアタマをよぎった。そして、退職送別会のときには「僕はインドに行きます」と公言するようになっていた。
 
 
 
とはいえ、
 

 

 

インドどころか、海外行ったことない僕が宛もないのにインドにいってタブラを習うなんて本当にできるのか??? 

それは果たして本心なのか??? 

精神的にも肉体的にも追い込まれた故の気の迷いじゃないのか???
 
まぁ、くそ忙しい仕事から解放されたところだし、数年はのんびり行こうやと思っていた矢先に、とんでもない大物が現れた。それが、
 
 
 
 
たまちゃん。
 
 
 
 
まさかの交際開始。そして、たまちゃんの「わたしもインドに行く」発言正気の沙汰とは思えなかった。「なんで僕のタブラ修行にたまちゃんも付いてくるんだ?!」と何度もたまちゃんに聞いたし、このことが自分の人生にもたらすものは何かと何度も何度も何度も自問自答した。
  

出た答えは、

 

 

 
今までの人生のパターンを覆すには、この流れについていくしかない。
 

 

 
しかしながら、この流れに抗えば、貯金はあるし数年はなにもせずとも安泰だ。

だが、この流れに乗れば貯金は予定していたよりずっと早く尽きるのは明白だ。
 
だが、今までと同じ発想で人生を歩むことになんの意味がある???
 
その思考パターンにおいてはもう十分に人生を楽しんだではないか、36年間も
 
今、ここにチャレンジが具現化したというのに、近い将来の安定に気をとられてそれをしないという選択肢は有り得ない
 
 
 
たまちゃんは、数々のアクシデントを連れてきてくれ、そして、それは僕自身の未解決の問題であることを教えてくれた。同時に、僕の人生に喜びを取り戻させ、そして、僕に起きていることは奇跡しかないことを思い出させてくれた。
 


 

  
もし、僕が若い時にタブラの挫折を経験していなかったら?
 
もし、僕の前職が転勤を伴わないものだったら?
 
もし、僕が札幌に転勤でこなかったら?
 
もし、僕が仕事が忙しくなかったら?
 
もし、僕がタブラをやりたいと思わなかったら?
 
もし、僕がそのことをFacebookに書かなかったら?
 

もし、たまちゃんとイテルさんがそれに気づかなかったら?
 
もし、黒田さんがタブラ奏者をやっていなかったら?
 
もし、イテルさんと黒田さんが知り合いでなかったら?
 
もし、僕が仕事をやめなかったら?
 
もし、僕とたまちゃんとの長い友達関係が途中で切れていたら?
 
もし、僕とたまちゃんが交際宣言しなかったら?
 
もし、たまちゃんがインドに興味がなかったら?
 
もし、Keenan夫妻が英会話教室を開いていなかったら?
 
もし、たまちゃんがKeenan夫妻と知り合いでなかったら?
 
もし、札幌にインド音楽愛好者がいなかったら?
 
もし、僕が全てを諦めていたとしたら?
  
 

 

さらっと書き出すだけでも、上のどれかひとつでも行われなければ、僕はインドに行かなかった。 
 

 
 
 
すべて、奇跡だった。
 

 

 

すべて、奇跡だったのだ。
 
生きているということは、奇跡の上のみに存在するのだ。
 
奇跡は、偶然に、そして、確実に起こる。
 
本人が気づいていてもいなくても。
 
しかしながら、気づくことができれば(・・・知識としてではなくて体感として・・・ここ大事!)果てしない感謝が溢れてくるのだ。
 
 
 

 

 
「全ては順調である」
 
 
 

 

  
ようやく、この言葉の意味が少しだけわかった気がする。
 
 
 
 
 
 

 
ワイパー

 

私たちは、既に人生の目的を達成している。

私たちは、人生になにかの目的や意味や目標や使命のようなものがあると思って、日々それを探し、邁進している。

 

今日、たまちゃんとおしゃべりして、それは少し認識がずれている感じがした。

 

それは、私達は人生の目的を既に達成しているということ。

  

今、まさにこの瞬間。そして、次に訪れる瞬間。そのまた次の瞬間も。

 

具体的には、人間という生物を人間たらしめる能力「感情」を感じること。

 

感情を味わう。これが人間として生まれたきたことの最大の魅力。

 

そして、この感情を常に感じ続けるために、人は顕在世界において人生の目的を探し続けるのだ。

 

私たちが、顕在世界で目的と呼んでいるものは、実は目的ではなくて、常に目的達成し続けるための方法ではないかと思う。

 

もし、これが正しいのであれば、生きることも、死ぬことも、容易くなる。

 

生きているだけで、生きる目的が達成していることが体感できれば、生きやすくなる。

 

目的を達成していない故に死を恐れるということも、なくなる。

 

 

 

 

 

ワイパー

 

【宣言記事】 理 想 【イトウの本質】

枠のない人。

 

呼ばれたところに行く人。

 

世界中が庭の人。

 

国籍のない人。

 

定住しない人。

 

住所不定の人。

 

目的がない人。

 

自ら表現し、かつ、他人の表現を助ける人。

 

 

  

思考と直感の高度なハイブリッド。

 

それがイトウ。

 

 

 

それを、少しずつ取り戻しているところです。

 

 

ただいま3合目。

 

 

あと1年以内に5合目へ。

 

 

 

とりあえずインド行って、帰ってきたらまた別の海外に行く。

 

 

 

 

ワイパー